「崩して歌ったら失礼」転機となった『宇宙戦艦ヤマト』に今でも畏敬の念
「科学忍者隊ガッチャマン」の声優をキッカケにアニソン歌手へ
こうしてメジャーデビューを果たしたささきだが、その歌手生活はけっして平坦な道のりではなかった。 「一時期は歌手の仕事を辞めて、役者や声優の仕事をやっていました。その間にミュージカルにも出演させて頂いて、それで発声からやり直そうと。また歌えるようになって、『レコーディングの機会でもあったらいいな』と思っていたところ、ちょうどそういった話を頂いたんです」 歌手活動を中断し、役者として映画やドラマ、舞台を中心に活躍し、ミュージカルへの出演をキッカケにあらためて発声を学び直し、再び歌手をめざすこととなったささき。そこで出合ったのが、SFアニメ「科学忍者隊ガッチャマン」だった。 「当時、ガッチャマンの声優をやっていて。新年会だか、忘年会だかで、みんなで集まったときに『そう言えば、ささきさんは歌手だったんですよね。じつは新番組があるんだけど、歌ってみませんか?』と声を掛けられて……」 このオファーをキッカケに1973年から放送されたSFアニメ「新造人間キャシャーン」のオープニングテーマ『たたかえ!キャシャーン』で、“佐々木功”から“ささきいさお”としてアニソン歌手デビューを果たす。 「その頃はアニメのテーマソングを歌うというのはお世辞にも花形の仕事ではなく、どちらかというと“陰の存在”だったんですよ。あくまでアニメや漫画がメインで、その主題歌という感じで。それでも、『やってみませんか?』と声を掛けて頂いて、自分でも良い機会だと思ったし、ちょうど自分の子どももアニメを観ていて、『お父さんは歌も歌えるんだよ!』というのを見せてやろう、と。色んな思いがあって歌ったんですけどね」
「宇宙戦艦ヤマト」でブレイク
こうしてアニソン歌手としての人生を歩み始めたささき。第二の転機となったのが、代表曲の一つとも言える『宇宙戦艦ヤマト』とのめぐりあいだ。 「(歌手として)グアーッときたのは、『宇宙戦艦ヤマト』が当たってからですよね。もう仕事の忙しさが、まったく違いました。“ヤマト”以前も、一部のアニメファンの方はよくイベントを観に来てくださったりしていたんですけど、最初に新宿の伊勢丹で『宇宙戦艦ヤマト』のイベントをやったとき、500人くらいの方が来てくださって、ビックリした思い出がありますね。三越でチャリティーサイン会をやったときも、『もう営業終了です!』とスタッフの方が説明した後も、たくさんの方が残ってくださって」 今でこそ、不朽の名作アニメとして知られる「宇宙戦艦ヤマト」だが、じつは74年の最初の放送当時は平均視聴率6%(ビデオリサーチ調べ)と苦戦し、ブームを起こすまでには多少のブランクがあった。 「『宇宙戦艦ヤマト』はヒットするまでに2年半くらいかかりましたよね? 最初の放送のときは、途中で打ち切りになったりして。それでも、アニメファンの方の間ではすごく人気があったんですよ。それまでもアニメソングのファンの方はたくさんいらっしゃったんでしょうけど、なかなか“表”に出る人がいなくて、機会を伺っていたと思うんです。それで、僕なんかがステージに出るようになって、『宇宙戦艦ヤマト』の曲を歌うようになったら、たくさんの方が集まってくれて。“第一次アニメブーム”のキッカケだったんじゃないかな、と」と当時を回顧する。