<京都・センバツ初出場物語>/1 立命館(第1回・1924年) 歴史刻む8校に選出 /京都
1924(大正13)年に名古屋市郊外の山本球場で産声を上げた第1回全国選抜中等学校野球大会。過去1年間の試合成績などを基に全国から選ばれた8校に、京都勢で唯一、名を連ねたのは立命館中(現立命館)だった。 22、23年の夏の全国大会(当時は兵庫県西宮市の鳴尾球場で開催)に連続出場してベスト8、ベスト4入り。15年夏に初代全国王者となった京都二中(現鳥羽)などに代わり、府の中等学校野球をリードする存在だった。 記念すべき初戦は24年4月1日の大会第1日第2試合、愛知一中(現旭丘)との1回戦。しかし、山上が14四死球を与え、現在も大会記録となっている13失策を犯すなど守りの踏ん張りがきかず、3―16で大敗を喫した。 立命館は戦後更に3回の出場を重ね、第30回(58年)の初戦となった2回戦で倉敷工を3―2で破り、初出場から34年で念願のセンバツ初勝利を挙げた。近年では「兄弟校」の立命館宇治も3回、センバツの舞台に立っている。 ◇ センバツに初出場した京都勢はどう戦い、その後どのような軌跡をたどったのか。長い歴史の中からピックアップして振り返り、第93回大会への初出場で活躍が期待される京都国際にエールを送ります。【矢倉健次】=随時掲載 〔京都版〕