【高校野球】御殿場西の名古竣祐遊撃手が故・森下前監督を「絶対に甲子園に連れて行く」…全国高校野球選手権静岡県大会7月6日初戦~話題校紹介
夏の甲子園への切符を懸けた第106回全国高校野球選手権静岡大会は6月30日に開会式が行われ、7月6日から熱戦がスタートする。スポーツ報知では「俺たちのショータイム」と題し、話題校を随時紹介する。第1回は1992年の春以来、2度目の甲子園出場を狙う御殿場西。県内トップの遊撃手とも評される名古竣祐(3年)が、1月に急逝した森下知幸前監督(享年62)の念願だった甲子園出場を実現すると誓った。 **** 御殿場西・名古が、決意の夏へ奮い立った。天国の恩師を「絶対に甲子園に連れて行く」と言葉に力を込めた。今春は知徳のプロ注目198センチ右腕・小船翼投手(3年)に4安打に抑えられ県予選で敗退(2●6)した。予選初戦で敗れた昨秋から公式戦3試合で最多得点は「3」止まり。「夏は苦しい試合が続く。何が何でもヒットを打ってつなげたい」と危機感をあらわにした。 2007年センバツで常葉菊川(現常葉大菊川)の監督として初Vに導いた森下さんは、今年度で監督を辞める意向だった。ラストイヤーに向けて、当時副部長で現監督の竹内健人さん(31)らに「この代なら甲子園に行ける」と明かしていた。その期待の中心にいた3年生の名古、竹下颯人と岡本祐汰の両外野手は1年秋から「別格。プロを目指せる」と見込まれていた。 カバーリングに安定した送球、パンチのある打撃。名古のプレーについては竹内監督も「県内一の遊撃手」と太鼓判を押す。一方、昨秋までは人間性での評価はあまりよくなかった。主将候補に挙げられたものの、指導陣の中で「変わるきっかけにもならない。任せられない」との結論に至っていた。 温和な森下さんに名古は「一番怒られた」と振り返る。寮の門限破りを繰り返したため、昨年9月、恩師が御殿場西では初めて選手を自宅に帰した。浜松の実家で頭を丸刈りにし、反省の色を示して戻ってきたが、「態度次第」と当初は練習参加させてもらえず。グラウンド整備や雑用の日々が続いた。3週間が過ぎ、不安に駆られたところで参加の許しが出た。 昨年12月、寮の風呂に入っている時、浴槽につかる森下さんにシャワーを浴びせた。「ワザとやったならいい。それだから、お前はいい」。怒られるどころか、全く予想もできない優しい言葉に「この人は上手。かなわないと思った」と懐かしんだ。 「変わらないといけないと気がついたのは、遅いかもしれないけど森下先生が亡くなってから」。今までは打撃不振だと無口になっていたが、ベンチを盛り上げるようになった。竹内監督は「主将同様にチームを引っ張っている」と認める。名古は「今まで森下先生がチームを引っ張っていた。加藤(優弥主将)や竹下、岡本や俺が引っ張らないといけない」。天国の恩師に恥じない夏にする。(伊藤 明日香) ◆名古 竣祐(なご・しゅんすけ)2006年9月16日、浜松市生まれ。17歳。小学3年時、新原野球少年団で野球を始める。進学した麁玉中では軟式野球部でプレー。180センチ、80キロ。右投右打。家族は両親と姉と兄。 〇…今夏は、御殿場西の持ち味である「フルスイング打線」の真価を見せる。春は低反発の新基準バットに苦しんだ。打撃力向上を目指し、練習だけでなく、練習試合でも木製バットを使用する。「『プロを目指すやつは使え』と言ったらレギュラーのみんなが使うようになった」と竹内監督。「芯で捉える力が上がり、打つ力がついた」と成果を口にしていた。
報知新聞社