推しが性犯罪者になったらどうする? 話題映画『成功したオタク』から“ファンとしてのあり方”を考える
復帰先として日本が選ばれる理由
結局は、どちらも「傷ついている」ということなのだと思う。アイドルというのは、虚像であるのは前提である。そんな「推し」のことを神聖視しすぎるのもよくないが、神聖視するよりももっと性加害をする方が悪い。傷ついた側が、どうしていいのかわからずに、自分のバランスを取ろうとする気持ちは痛いほど理解できる。 もしかしたら、「擁護する人」も「怒り狂う人」も、傷つきに対する反応を見せているのにすぎないのかもしれない。そんな風に映画を見て思った。 映画の中で、かつての輝かしい「推し」のことを語る彼女たちの顔は、今でも明るい。「推す」という行為自体は決して悪くはない。自分が彼らのなんたるかを知らずに、夢中になっていたことも悪くはない。悪いのは、人に加害を行った「推し」自身なのだ。 ただ、「バーニング・サン事件」に関わったタレントや、そのほかの事件で起訴されていた韓国の俳優やミュージシャンたちが、次々と復帰しているという。しかも、その場所として日本を選んでいる人も多いというではないか。そこには、日本のファンが、彼らに「怒る」よりも「許す」人の方が多いことも無関係ではないだろう。 しかし現時点で私は、日本において「許す」ことが重要視され「怒る」ことが忌避されているようにも感じている。このように「怒り」がないがしろにされることで、日本で起こる様々な芸能の問題に関しても、そして政治の問題に関しても、早々に解決したような感覚になってしまって、問題の本質を見ないままになってしまっているように思うこともある。 この国で「怒る」ことがタブー視されている間は、このような映画は撮れないのかもしれないとも思ってしまった。
西森路代