慶應志木高校MF三木武陽#2「サッカーを通じて精神力が培われた」【文蹴両道】
1学年250人の6クラス編成という環境の下、きめ細やかなサポートと様々な自己表現の機会を有するのが、1948年(昭和23年)に開校した慶應志木高校(埼玉)だ。 【フォトギャラリー】慶應志木 慶應義塾の一貫教育校として、在校生は慶應大学のいずれかの学部に進学できるとあり、人気も高ければ偏差値も高い難関の男子校である。スポーツの部活動に精を出す生徒も多く、文武両道を実践している。 サッカー部はかつて隆盛を誇った時代もあったが、近年はやや低迷気味。今夏の全国高校選手権予選は1次予選代表決定戦で姿を消した。前チームの中盤を支えたMF三木武陽(3年)に話を伺った。 ――慶應志木に入学してからも、サッカー部に入るつもりだったのですか? いいえ、正直入学した当初はサッカーを続ける計画はありませんでした。ただただ、試験に合格することだけを考えていました。慶應志木はいろんな部活動があり、その中で最初は弓道部に興味を持ったのですが、やっぱり幼稚園の年中からやって来たサッカーが一番合っていると思い直し、入部しました。 ――慶應志木を受験したのはなぜですか? 最も大きな理由は学力の高い高校に入りたかったからです。自分が中学生の時は、ちょうど新型コロナウイルスの感染拡大で学校見学や学校説明会がなかったので、慶應志木についていろいろ調べてみたら自由な校風というのがとても魅力的でした。実際に入学してみると、想像していた通りのいい雰囲気の高校だったので、選んで良かったと感じました。二番目の理由というのが、自宅から学校まで約30分という近距離だったことです。 ――授業に集中し、定期試験で及第点を取れば慶應大学に進めます。勉強と部活動の比率はどうですか? それは人それぞれだと思います。例えば医学部に進む人は勉強ばかりしているはずですし、サッカー部に入ると(医学部は)少し難しいかもしれません。 ――三木さんは何学部に入ろうと考えているのですか? 今のところ、理工学部に入りたいと思っています。 ――社会人になってからのことも視野に入れているのでしょうか? まだ明確な将来像というのは思い浮かんでいませんが、長い海外生活で培った語学力と理系の知識などを生かせる職業に就けたらいいな、って頭の中では描いています。 ――帰国子女ですね。どちらに行かれていたのですか? 父親の仕事の関係でアメリカとカナダに住んでいました。小学1、2年生は上福岡少年少女サッカークラブに所属していましたが、3年生から中学2年生まで海外生活です。帰国後の中学3年は、富士見市立本郷中のサッカー部でボランチとしてプレーしていました。 ――ということは得意な科目は英語になりますか? 苦手な教科も教えて下さい。 そうですね、英語は好きだし得意でもあります。そのほかでは物理が好きです。今までほとんど触れる機会のなかった古文は、あまり得意ではありませんね。 ――日本史や世界史などはどうですか? それほど好きとは言えませんが、暗記するところは覚えておけばいいので、頑張ってやればできますからそれほど問題はないと思います。 ――サッカーについてもお聞きします。三木さんが主力だった前チームは、どんなスタイルで戦っていたのですか? 縦に速いサッカーをイメージして戦術を磨き、チーム力を高めることに努めました。自分は右サイドのミッドフィルダーとして、チャンスメークと得点に絡むプレーを心掛けていました。チームは近年、県大会でいい成績を残せていませんので全国高校選手権予選では、決勝トーナメントに進んで何とか頑張って一つでも多く勝つことが目標でした。 (文・写真=河野正)