古閑美保、上田桃子ら女子トップ選手を育てた坂田信弘さん “文筆家”として軽く1億円以上稼ぐ「クラブとペンの二刀流」だった
坂田信弘さんは異色のプロゴルファーだった。戦績が注目されるより、ゴルフに関する心情豊かな文章や漫画の原作で人気を呼び、ジュニアゴルファー育成の先駆者としても名をはせた。 【写真をみる】「ゴルファーとしては三流」と話すも…“小学館漫画賞”の華やかな会場で存在感を示す坂田信弘さん
女子トップ選手たちの“原点”
古閑美保、上田桃子、笠りつ子、安田祐香、青山加織ら女子プロゴルフ界のトップ選手の原点をたどると、「坂田塾」の出身であることが分かる。 坂田ジュニアゴルフ塾を熊本に開いたのは、1993年のことだった。以来、札幌、福岡、名古屋、神戸などにも開校。坂田さんに賛同した練習場、ゴルフ場、用具メーカーが無償で協力、塾生を無料で受け入れる画期的なもので、坂田さんも文筆業や講演で得た収入を惜しみなく投じた。 坂田ジュニアゴルフ塾の元事務局長で、至学館大学(元・中京女子大学)名誉教授の朝山正己さんは言う。 「私も全国のスタッフも皆ボランティアです。ゴルフはお金がかかる。親の資産に関係なく真剣にゴルフを志す子供に機会を作った。坂田さんの信用があってこそ、無償で練習場所を提供してもらえたのです」 プロテストを受けた塾生のうち8割以上が合格する成果を出している。 「指導は徹底的な基本作りでした。当然のことができる人に育つよう日常の姿勢も大切にした。しっかりあいさつし、礼状を書く、うそをつかない、約束を守るなどです。親同士の競争心のようなエゴから親が塾に介入しては子供が成長できないと考え阻止した」(朝山さん) 塾は規模を縮小しつつ、昨年まで30年も続いた。
プロを目指したのは22歳
47年、熊本生まれ。父親は和菓子職人。京都大学文学部に進み哲学を学んでいたところ、父親が急逝。大学を中退し家計を助けた。 プロゴルファーを目指したのは22歳と遅い。まず体を作らねばと陸上自衛隊に入隊。71年、鹿沼カントリー倶楽部の研修生になり、75年、プロテストに合格。中嶋常幸は同期にあたる。 当初は優勝争いにからむ有力選手だったが低迷。獲得賞金より経費がかさみ、約400万円の借金を抱える。返済のためにゴルフの自戦記やレッスン記事を83年ごろから書き始めた。