攻撃的な人は「ほぉー、そぉーですかぁー。で?」でかわす…禅僧が「頭にきても怒ったら負け」と断言する理由
失礼な物言いをしてくる相手にはどう対応するといいか。禅僧の枡野俊明さんは「非礼・無礼に対しては『怒ったら負け』と心得るべきだ。その理由は2つあり、1つは当の本人はだいたいにおいてその自覚がなく、そんな人と同じ土俵で争ってもこちらが疲れるだけということ。もう1つは、相手の指摘が正しいことがままあるということだ。そのため、『受け流す』のが賢明だ」という――。 【この記事の画像を見る】 ※本稿は、枡野俊明『仕事も人間関係もうまくいく引きずらない力 もっと「鈍感」でいい、99の理由』(三笠書房)の一部を再編集したものです。 ■顔も、体格も、性格も、能力も……何もかもみんな違う ---------- 人は人、自分とはすべて違うと考える――この前提が人間関係の基本 ---------- この世の中、一人として同じ人間はいません。同じ親から生まれた兄弟姉妹も、双子でさえも、同じではないのです。それは禅語に、 「宇宙無双日(うちゅうむそうにち) 乾坤只一人(けんこんただひとり)」 とあるとおり。宇宙に太陽が二つとないように、私という人間は天地古今――天と地の間にただ一人の存在なのです。 ですから人は自分と違っていて当たり前。容貌や体格はもとより、性格も能力も嗜好も価値観も、すべてが違います。 それなのに、なぜか自分と違う考え方や振る舞いをする人を見ると、あたかもそれが正しくないかのように、「おかしいじゃないか」と不満に思ったり、怒りを感じたりする人が多いのです。 逆にいうと、違いを認めさえすれば、不満や怒りが生じにくくなるのではないでしょうか。 「すべての人が違っていて当たり前」と割り切る、それだけで人間関係はずいぶんうまくいくようになるはず。 いま流にいえば、それが「ダイバーシティ(多様性)の尊重」につながるのだと思います。
■「それでも怒らない」のが賢明 ---------- 頭に来ても無礼者と闘わない――「怒ったら、自分の負け」と心得る ---------- 人の悪口をいったり、バカにしたり、ちょっとしたミスをあげつらったり。失礼な物いいをされると、腹が立つものです。 どうしてそんなふうに貶められなくてはいけないのかと、自尊心も傷つけられます。あまりに理不尽だと、文句の一つもいいたくなるし、さらに口論、ケンカに発展する場合もあるでしょう。 それでも怒ってはいけません。難しいけれど「受け流す」のが賢明です。 理由は二つ。一つは、非礼・無礼を働く本人は、だいたいにおいてその自覚がない、つまり自分が非礼・無礼な振る舞いをしているとは思っていないからです。そんな人と同じ土俵で争っても、こちらが疲れるだけ。相手にすることはありません。 もう一つは、相手の指摘が正しいことがままあるからです。とくに劣等感や弱みを抱えている人は、痛いところを突かれると、瞬間的に怒りの感情が噴出します。 そんなときはなんとか怒りをこらえて、しばし深呼吸。「彼(彼女)のいうとおり、図星だな。怒りは吞み込み、今後の反省材料にしよう」と、気持ちを切り替えましょう。 いずれにせよ、非礼・無礼に対しては「怒ったら負け」と心得てください。 ■“異質なもの”が、あなたの視野を広げてくれる ---------- 人との「違い」をおもしろがる――「そんな考え方もあるんだな」 ---------- いままで行ったことのない土地を旅行すると、さまざまな発見があります。 「こんな風習が何百年も伝えられてきたのか」「この食材にこんな食べ方があったのか」「同じ言葉でも、ここの方言では標準語とまったく逆の意味なのか」「こんな音楽や踊りをいまも楽しんでいるのか」……など、いくら情報量の多い時代とはいえ、実際にそこに身を置いて初めて知ること、経験することはたくさんあります。 そういう“異質なもの”と出合ったとき、あなたは「自分の知っている文化とは違う」「自分の土地ではそんな考え方をしない」などと怒りますか? むしろ「違い」をおもしろがるのではないでしょうか。 人づき合いもそう。世の中には多種多様な人がいます。「ここが違う、あそこも違う」と感じたら、その「違い」を否定するのではなく、おもしろがるほうに気持ちを切り替えてはいかがでしょうか。 出会った人の数だけ、自分には持ち得なかった“視点のストック”ができるはずです。 人づき合いの妙味は、まさに「違い」をおもしろがるところにあるのです。