世界に冠たるシティでさえ3部でプレーする屈辱を味わった
だが、あのマンチェスター・シティにでさえ屈辱を味わった。
18位に終わった1995/96シーズン終了後にチャンピオンシップ(実質2部)へ。さらに97/98シーズンには同ディヴィジョンで22位にランクダウン。リーグ1(実質3部)でもがき苦しむことになった。2000/01シーズンにはプレミアリーグ復帰を喜んだが、わずか一年でチャンピオンシップに突き落されている。
いまでこそ世界に冠たるシティも、プレミアリーグ発足後の31年で5年も下部リーグを経験していた。
もし、2008年に『ADUG』(アブダビ・ユナイテッド・グループ)が買収していなかったら、ジョゼップ・グアルディオラ監督は同じマンチェスターでも赤いクラブの方を指揮していたかもしれない。
ケヴィン・デブライネ、アーリング・ハーランド、ルベン・ディアス、ロドリなどの獲得も難しかっただろう。
25年前に3部でもがいていたクラブが、オイルマネーの注入によって世界有数の強豪に姿を変えるなど、当時は知る由もなかった。
プレミアリーグ発足後、ヨーロッパ大陸、もしくは南米からチャレンジする選手たちは、「家族の暮らしも考えるのならロンドンのクラブ、フットボールだけならユナイテッド」という独特の基準を設けるほど、シティはマンチェスターでも日陰の存在だった。
財務規定違反に関する嫌疑が115件も浮上したとはいえ、シティが世界でもトップ3に入る強豪であることに疑いの余地はない。100失点を超える公算大のシェフィールドUにも、いつか強力なパトロンが現れるのだろうか。
文:粕谷秀樹
粕谷 秀樹