【絶滅危惧種】旧遊廓街にポツンと1軒残った赤線建築の「裏旅館」をアングラ探検家が取材した‼
11月5日、大阪府警は大阪市西区の「ちょんの間街」松島新地の〝料亭〟経営者とその母や祖母など5人を売春防止法違反(場所提供)の疑いで再逮捕した。経営者は親子3代で松島新地の料亭5店舗を経営しており、延べ150人以上の女性が働いていたという。 【え、ここ?】「日本一暗くて寂しい風俗街」といわれる甲突町遊廓跡 10月14日の深夜に摘発が行われたという報道が出たときには「松島新地がなくなるのでは」と関係者に激震が走った。風俗店の届けを出していない〝料亭〟はあくまでグレーな存在。当局が〝黙認〟することをやめて一斉摘発しても不思議なことではないからだ。今回のケースは逮捕された経営者が別に経営していたホストクラブで売り掛けが溜まった客を、料亭で働かせていたという事情があったようだが、とくに大阪府以外の地域では昔の赤線・青線の流れを引く「ちょんの間」が年々姿を消しつつある。 アングラ探検家YouTuber・パイナポー裏ch氏はこれまでにも、『松山・千舟町』や『川崎・南町』などの、現在までかろうじて生き残る「ちょんの間街」の潜入ルポを紹介してきた。今回訪れたのは、かつての遊廓跡にポツンと1軒だけ残った〝絶滅危惧種〟ともいえる「赤線建築の旅館」だ。 その旅館は繁華な歓楽街からは少し離れた「日本一寂しく暗い風俗街」の中にあった。 ◆暗く寂しい旧遊廓にポツンと1軒、怪しげな看板が 南九州一の歓楽街、鹿児島・天文館から歩いて10分ほどの街にその旅館はある。天文館の煌びやかな街の喧騒とは対照的にその街はしんと静まり返っている。その旅館は街中にポツンと1軒、怪しげに旅館の看板を掲げ来客者を待ち構えている。 「旅館」といっても目的は宿泊ではない。その旅館はいわゆる「ちょんの間」。そう、女性と遊ぶための場所である。 ’24年8月。私はYouTube動画の撮影のため鹿児島を訪れた。目的はもちろん「甲突(こうつき)町の裏旅館」である。 元々甲突町は遊郭である。歴史は古く、江戸時代まで遡る。当時は「沖之村遊郭」と呼ばれたが、明治時代に入り鹿児島駅近くにあった築地遊廓がこの地に移転、結果的には2つの遊郭が集結して甲突町遊郭となった。昭和初期には23軒の妓楼が存在し、350人余り娼妓がいたという記録がある。1958年の売春防止法施行以後は赤線へと転向し、現在のソープ街へと至る。現在風俗街となっている区画のすぐ近くにはスナック街があり、戦後まではそこも青線的な役割を担っていたらしい。まあ昔からそういった場所であったことは確かだ。 その赤線時代からの旅館の生き残りが、今回訪ねる旅館ということになる。「ちょんの間」旅館は数年前まで3軒は営業していたはずだが、どうやら残り1軒になってしまったようだ。まだ甲突町には「昔は裏営業をしていたであろう建物」がちらほらと散見される。 ◆「昔と変わっていなくてよかった」昔働いていた女性から届いたDM 甲突町に着くと目的の旅館はすぐ見つかった。いかにも赤線建築といった建物に「旅館〇〇」という白い看板が妖しく光っていて、扉が4分の1ぐらい不自然に開いている。これで営業していることを確認。この日は台風が近づいているのでもしかしたら閉めているかもと危惧していたのだ。 今回、甲突町の旅館に潜入した際の動画を上げた後、XのDMに「26年前、23歳の時にあの旅館で働いていた」という女性からDMを頂いた。昔は旅館が何軒もあったこと、部屋はエアコンが新しくなっていただけで自分が働いていた時と変わらぬままだったこと、当時は子供を育てるために働いていたこと、ママがまだ元気そうで嬉しかったことが記されてあった。こういう場所で働いていた女性は「近くに来たから昔の職場に寄ってみるか」ということはできない。頂いたDMからは「自分では振り返ることのできないあの場所が、昔と変わっていなくてよかった」という意味が読み取れた。DMの方と同じような女性は多分もっとたくさんいて、これまでに数え切れないほどの刹那があの旅館で交差してきたことが分かる。 私が遊んだ旅館はおそらく、もって数年~10年ほどの命だろう。そして近い将来、役目を果たし終わった後はそこで何が行われていたかもわからないように、跡形もなく歴史から消え去ってしまうのだろう。 有料版『FRIDAYデジタル』では、パイナポー氏がこの「裏旅館」に潜入した模様を詳細にお伝えしている。
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