山口馬木也【3】米農家兼映画監督の熱烈ラブコールに大感激!
■国際映画祭で観客賞金賞受賞!海外の人に「時代劇」を喜んでもらい号泣
「侍タイムスリッパー」はカナダのファンタジア国際映画祭に出品され、観客賞金賞を受賞した。山口さんも映画祭に行ったという。 「向こうのコーディネーターの人は、監督賞、作品賞、主演男優賞とかの賞が獲れると思いますみたいなことをしきりに言っていたんですけど、何も獲れなかったんですよ(笑)。観客賞金賞は映画祭が終わった後、観客の投票で決まるので後日なんです」 ――カナダの映画祭の雰囲気はいかがでした? 「もうずっと泣いていました。僕はお客さんが笑うたびに泣いていました。時代劇というものもそうですし、感情表現も海外の人とは違う。心で思っていることは人間だから多分一緒のはずだけど、そこが果たして伝わるのかなっていうところがやっぱり一番不安でした。字幕ですしね。 だけど、終始ゲラゲラ笑って立ち上がって途中で拍手が何回も起こっていて…ちょっと鳥肌が立ちました。それで、上映後に皆さんが拍手しながら立って迎えてくれた時には、恥ずかしながら号泣するという感じでした。 あれも感動的でしたね。舞台挨拶に行くたびに感動しているんですけど、お客さまが本当に喜んでくれているのがわかるので、毎回ウルウルしていますよ。今日はこういうことをしゃべろうとか思うんですけど、毎回ウルウルしてしまって申し訳ないなと。もういいかげん慣れて大丈夫だろうって思うんですけど、エンドロール後に拍手をしてくださっているのを聞くとそれだけで毎回感動しちゃって」 ――これだけの勢いがある作品は、「カメラを止めるな!」(上田慎一郎監督)以来なかったので、映画界にも弾みがつきそうですね 「そうなってくれて、もっともっと映画を日常に感じてもらえたらありがたいですよね、僕らの仕事としては。作っている人たちにしても」 ――山口さんはまさに侍そのものという雰囲気で刀の重さを感じさせる立ち回りもすばらしかったです 「ありがとうございます。実際に真剣を振ったことはあるんですけど、意外にバランスがいいから振りやすいんですよ。でも、刀の重さを出すということでいうと、監督とやっぱり色々ディスカッションをしました。 本物の日本刀を持ってやっているのは現代でも流派によってはあるじゃないですか。監督はそれを持ってこられて、それはやっぱり刀の重さを感じますよね。本物でやっているので当然なんですけど。 ただ、監督とディスカッションしたのは心情が違う。そのスピードが早い遅いとか、刀の重さ云々というのは、僕は京都の人からいろいろ教わっているし、そこは多分操作しちゃいけないところだと思う。そこに1ミリでも脳みそが行っちゃうと、多分あのお侍さんではなくなっちゃう。 高坂新左衛門は、そんなことは絶対考えてないわけで、そこはからだに染み込んでいるって信用するしかないので、申し訳ないけど信用してほしいって言ったら、監督もわかりましたっておっしゃってくださって。だからもう本当に手探り状態で進んでいったという感じですかね」 ――スクリーンでご覧になっていかがでした? 「『監督お見事!』って思いました。音の効果も含め、カットの画の構成も。相手役の冨家(ノリマサ)さんにも本当に感謝です。お互いにずっと見えない糸で繋がったままやっていて、それは冨家さんだからできたことで…というのも良かったなって思いました。 冨家さんとはこれまで作品として会ったことはあるんですけど、お互いにかつらをつけていて作り込みが激しくて、気づかず…ということがあったらしいです。こういう風にがっつりっていうのは初めてでしたけど、大好きな人です」 ――毎晩3時ぐらいまで撮影していたそうですね 「そうです。それで4時とか5時に監督が撮影したばかりの映像を編集して送ってきてくれていたんです。それが映像として本当にきれいだし、よくできているのでみんなの気持ちも上がりましたよね」 ――途中で資金難になって大変だったそうですね 「そう。結局スクリプターがいないことで映像が繋がらないわけですよ。監督が全部やっていたんですけど、繋がらなかったから追撮(追加撮影)が多々あって。それでどんどんどんどん資金も底をついてきて…。 最終的にはラストの立ち回りのところも3日ぐらいかかって撮っていたんですけど、監督はお金を出してプロデューサーの側面もあるし本当に大変だったと思います。この映画を作るために車も売ったと言っていました。僕らは芝居をして、ここはそのスピードではいけないからと時間をかけて撮ってもらっているし…。もうこんがらがっちゃっていましたね」 ――でも、苦労された甲斐あって、とてもすてきな作品が完成しましたね 「それはもう安田監督とみんなが一丸となって寝ずにやって、あの画を撮ってくださった、あの本を作ってくれたからですよね。みんな何としてでもこの作品を世に送り出すんだという思いでやっただけで、多分それも奇跡なのかなって思います、本当に。 監督とも話したんですけど、こういうことはもう二度とないと思っているんですよ。オリジナルで監督がたまたま書けましたというインディーズ映画で、自分のお金で全部作る。で、10人足らずのスタッフで作っていって、それが完成して、1館から全国に広がっていくっていうこのストーリーは、もう二度とないじゃないですか。 次に監督が何かを作る時は、もう安田淳一監督として知られていて、無名の知らない監督ではないわけですよ。だから、この体験と経験というのは生涯に1度だけの経験だということを改めて思うと、何か寒気が走っちゃいましたね、監督と二人で」