「力こそ正義」は根本的に間違っているといえるわけ…正義のあり方はどのように決められるべきか?
社会のルールはどのように決めるべきか? すべての人が納得できる正義はあるのか? 講談社現代新書の新刊『今を生きる思想 ジョン・ロールズ 誰もが「生きづらくない社会」へ』は、現代政治哲学の起点となった主著『正義論』を平易に読み解き、ロールズ思想の核心をつかむ入門書です。 【写真】「正義なしではまともに生きていける人はいない」と言えるわけ 本記事では〈「正義なしではまともに生きていける人はいない」と言えるわけ…「正義」はなぜ不可欠なのか? 〉にひきつづき、なぜ正義が必要なのかくわしくみていきます。 ※本記事は玉手慎太郎『今を生きる思想 ジョン・ロールズ 誰もが「生きづらくない社会」へ』から抜粋・編集したものです。
暴力は正義の代わりにならない
ここでもう一つ(やはり少しいじわるな)疑問を取り上げましょう。「力こそが正義」という言葉があるように、実力行使によって利益を得ることもまた一つの正義である、という主張があるかもしません。このような態度は、一見したところ、正義という言葉を用いながら、ロールズの考える正義のあり方とは相容れないものです。このような態度をどう考えればいいでしょうか。 たしかに「力こそが正義」という言葉はあります。しかし、それは一つのレトリックであると考えるべきだと思います。「勝てば官軍」という言葉と同じようなものです。勝てば官軍という言葉は、勝利した側が官軍(政府側の軍)になるという判断を述べているわけではありません。当たり前ですが、官軍であるかどうかはその軍の編成の背景によって決まるのであって、勝敗によって決まるわけではありません。 勝てば官軍という言葉は、勝てば(本当に官軍であるかどうかに関係なく)官軍である「かのように」ふるまうことができる(だから大事なのは自分たちが正しいことではなく勝負に勝つことである)、という意味でしょう。 これと同様に、「力こそが正義」という言葉も、正義とは力を持つものの属性である、と本気で述べているわけではありません。むしろ、力のあるものは(本当に正義にかなっているかに関係なく)正義である「かのように」ふるまうことができる、という主張とみなすべきです。そして、そのような主張は正義の意味を歪めています。 逆に言うと、あえてそのようにひっくり返すことがレトリックとして意味を持つということが、そもそも力による決定は正義ではない、ということを明らかにしています(もし力と正義が本質的に結びついているならば、わざわざ「力こそが正義」などと述べる意味はないでしょう)。 つまるところ正義とは、武力や権力に関係なく決まるものであり、そして、武力や権力によって一方的に決められたことを「不当だ=正義に反する」として退けるためにあるものです。私たちは正義をそういうものだとみなしており、そういうものだからこそ、対立を調停する足場になるわけです。 正義の原理が対立する権利要求に明確に順序をつけ、調停するということは、それを武力や権力なしに行うから意味があるのです。関連する文脈でロールズは、「武力や狡猾さに訴えることを避けるために、正や正義の原理が受け入れられる」(第23節、180頁)ということを強調しています。