「赤」が紡ぐ家族の絆 サッカーJリーグ・浦和レッズサポーターの川島さん 子ども、孫含め3世代で熱く応援 共に歩み25年、日々の活力に 「優勝するまで行き続ける。それがモチベーション」
真っ赤に染まる客席、90分間総立ちの応援、ゴールで揺れるスタジアム―。「全てを含めてレッズにはいつも元気をもらっている」。こう熱弁するのはJ1浦和レッズのサポーター歴25年の川島登志子さん(76)=さいたま市岩槻区。長男雅裕さん(52)=東京都江戸川区=の影響で観戦するようになり、「気付いたらはまっていた」という。孫の駿輝さん(12)もファンで、雅裕さんは「レッズがあるから、家族がより深くつながっていられる」と笑顔だ。レッズ誕生から30年超。チームの存在が、多くの世代に広がったサポーターの背中を押している。 今季13位に終わったJ1浦和 超攻撃サッカーに隙【写真1枚】
■衝撃 雅裕さんは埼玉大学在学中に、テレビ埼玉で報道カメラマンのアシスタントのアルバイトをしていた。当時は1993年にJリーグが開幕した直後。レッズ戦の中継の手伝いで、国立競技場に行く機会があった。試合はPK戦までもつれ込み、10人以上が蹴り合う激闘に。その間、鳴りやまない応援に「『何なんだ、この人たちは』と。あの時の衝撃は忘れられない」。もともとサッカーに興味はなかったが、瞬く間に心を奪われた。 徐々に試合に足を運ぶようになり、シーズンチケットの購入歴は25年余り。雅裕さんは「もともと、埼玉に娯楽が少なかった中、レッズが誕生したことで情熱を注げるものができた」と力を込める。 登志子さんは雅裕さんに誘われたのがきっかけだ。高卒で入団した小野伸二選手にほれ込み、小野選手がオランダに移籍した際には雅裕さんと現地の応援ツアーに参加。その後も何度か2人でレッズの海外の試合に応援に行った。
■喜び 埼玉スタジアムのシーズンチケットは2席分持っているが、登志子さんは雅裕さんが仕事で来られない日は「レッズファンを増やしたくて行ったことない人を誘う」という。「初めて来た人はびっくりして感激する。その姿を見るのがうれしい」と登志子さん。周りの席のサポーターとは顔なじみで、ゴールが決まるとハイタッチで喜びを共有する。「見ている方が力をもらえるのがレッズ。地元チームで、しかも“赤”って、すごく元気になる」と目を輝かせる。 雅裕さんは大学卒業後、TBSに就職し、都内在住歴は約30年。実家暮らしよりも長くなったがシーズン中は2週間に1回、埼スタで試合があり「埼玉に帰るのが実家に寄る目的ではなくてレッズ戦。でも、そのおかげで母親の顔を見ることができる。レッズがあることでより家族はつながっている」と実感する。親子の無料通信アプリLINE(ライン)の中身はレッズの話ばかり。「勝って良かったね」のやりとりもあるが「あそこが良くなった」という反省会がほとんどだという。
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