夏の甲子園中止「自分の中身が空っぽに」絶望の「5・20」から4年 勝ち取った全国切符 共栄大、八重山バッテリーの決意
「5・20」という日付を、4年が経った今でも覚えている。 「忘れられないです。5月20日でした。夏の甲子園大会の中止が決まったというニュースが流れて…。目標が絶たれて、自分の中身が空っぽになった感じでした。2年半やってきたことが崩れかけて。やるせない気持ちになったんです」 【写真】八重山時代から7年間、バッテリーを組む2人 声の主は共栄大のエース・砂川羅杏(らいあん・4年)だ。2020年当時は沖縄・石垣島にある八重山の3年生。最速139キロ右腕だった。 砂川が語る隣、八重山のチームメートで正捕手だった比嘉久人(4年)がうなずき、こう言った。 「甲子園がなくなって正直、やる気もなくなったというか。沖縄の代替大会が開催されることになったんですが、『思い出づくり』で行こうかなと思っていました」 本当にそれでいいのか。当時の主将が問題提起した。応援してくれる島の人たち。独自大会を開催するために汗を流してくれた方々。恩義に報いるためには、全力で優勝を目指すべきではないのか。 八重山ナインは全てを懸けて、夏の沖縄代替大会に臨んだ。8月2日、タピックスタジアム名護での決勝。沖縄未来に4-2で勝利し、頂点に立った。最後のマウンドに君臨した砂川は、バッテリーを組んだ比嘉と抱き合った。 本来なら満員であるはずのスタンドは、完全無観客。前日1日には沖縄県に緊急事態宣言が発令されており、3年生部員の保護者の入場も禁止されていた。 砂川は振り返る。 「優勝はしたんですが、甲子園に行けなかったんで。心のどこかに燃え尽きていない部分があったんです。本当は高校野球で、野球は終わりにしようと思ったんですが」 そんな砂川の将来性を、高く評価する指導者がいた。共栄大の新井崇久監督だ。同校は春季キャンプを石垣島で行っている縁があった。砂川、比嘉のバッテリーに遊撃手の宮良忠利と3人が、共栄大に進学することになった。 「全国大会に出ている実績もあったので、大学でこそ全国の舞台に出たいと思っていました」(砂川) 「甲子園がなくなって、大学野球をやるからには、目標は大学選手権出場。それに向かって1年生の頃から、頑張ってきたんです」(比嘉) 近くにエメラルドの海が広がる八重山から、海のない埼玉での鍛錬が始まった。恵まれた施設や科学的なトレーニング、新井監督の情熱的な指導もあって、才能は開花した。砂川のストレートの最速は7キロ増の146キロ。比嘉も3年次から扇の要を担うようになった。 創価大、流通経大、東京国際大、杏林大などの実力校がハイレベルな攻防を繰り広げる東京新大学野球リーグ戦。この春、共栄大は快進撃を見せた。5月13日には6季ぶり5度目のリーグ優勝。全日本大学野球選手権への出場切符を手にした。原動力は八重山出身のバッテリー。比嘉は打率3割1分4厘でMVPに輝き、砂川はエースとして3勝1敗、防御率1・46の好成績。2年連続で最優秀投手のタイトルに輝き、投手のベストナインにも選出された。 絶望の「5・20」から、4年。二人は満を持して、全国のステージに立つ。 6月11日、神宮球場。相手は関西の名門・関学大だ。 「チームにスーパースターは誰一人いない。それぞれ一人ひとりが役割をしっかりと果たしていきたい。自分は最少失点に抑えて、後ろの投手につないでいきたい」(砂川) 「出るからには勝ちたい。しっかりと投手をリードしたいです。打っても走者をかえせる打撃をしていきたいと思います」(比嘉) 幾多の困難を乗り越えた、7年間のバッテリーの集大成を見せる。時は来た。それだけだ。(編集委員・加藤弘士) ◆名前はあの大投手から 〇…砂川の「羅杏」(らいあん)という名は、メジャーリーグの大投手、ノーラン・ライアンにちなんで、父・浩克さんが名付けた。「父が大の野球好きで、ノーラン・ライアンのファンだったことと、『海外に出ても親しみやすい名前に』とつけてくれたんです」と砂川。大舞台での力投に心を弾ませた。
報知新聞社