野村克也もアメリカ人監督も絶賛した“169cmの日本人投手”「メジャーで通用する」「まるでやり投げの投球フォーム」山口高志を“生で見た”男たちの証言
米監督「メジャーでも通用する」
また、4年時の7月に開催された「第1回日米大学野球選手権大会」では、一人でオール完投の3勝をあげて優勝の原動力となり、大会MVPに選ばれた。3勝3敗で迎えた優勝がかかる第7戦では1安打完封。唯一の安打を打たれたのは、後にボストン・レッドソックス入りして史上初めて新人王とMVPを同時受賞したフレッド・リンだった。 アメリカチームの監督だったボブ・レンは〈メジャーでも十分通用する〉〈私の二十五年の大学監督生活で初めて出会った好投手だ〉と驚き、日本の4番だった長崎慶一(法政からドラフト1位で大洋に入団)は、〈アメリカはタカシを打てませんでした(略)全米のピッチャーがみんな技巧派に映った〉と語っている(『君は山口高志を見たか 伝説の剛速球投手』鎮勝也/講談社)。 こうして、大学4年時の山口は、リーグ戦春秋連覇、6月の「全日本大学野球選手権大会」優勝、7月の「日米大学野球選手権大会」優勝、11月の「明治神宮野球大会」優勝と、全5冠を達成して、史上最高の大学野球投手とも言える圧倒的な成績を残した。 社会人の松下電器を経て、1974年のドラフト1位で阪急に入団した山口は、その剛速球でプロ野球界に衝撃を与えた。
“新人”山口を見た男たち…その証言
阪急の絶対エースだった山田久志は、〈力勝負からインサイドワーク、駆け引きを駆使した投球をしていかないとダメになっていく。そう思わされたのが山口高志の出現なんですよね〉(『ベースボールマガジン』2023年10月号)。この危機感からシンカーをマスターした山田は、そこから息の長い真の大エースへと変貌を遂げていった。 南海の選手兼任監督だった野村克也は、〈投球の9割はストレート。山口に配球などいらないのだ。逆に、打者はストレートしか来ないと思って打席に立てばいいのだが、それでも調子のいい時の山口は打てなかった〉(『私が見た最高の選手、最低の選手』野村克也/東邦出版)。 最も速かったと言われる新人の年は、12勝13敗1セーブ、防御率2.93。好不調の波が大きかったが、阪急の上田利治監督は切り札として先発、要所のリリーフに使い続け、山口はチームの前期優勝、プレーオフ優勝、日本シリーズ優勝のすべてで胴上げ投手になり、新人王にも輝いた。 特に、日本シリーズでの活躍は目覚ましく、この年のオールスター戦から勢いに乗って「赤ヘルブーム」を巻き起こしていた山本浩二、衣笠祥雄擁する広島を相手に、6試合中5試合に登板して1勝2セーブと完全に封じ込んだ。 シリーズMVPに輝いた山口の活躍で、阪急は4勝0敗2引き分けで球団創設40年、日本シリーズ挑戦6度目にして悲願の日本一を達成したのだった。 このシリーズでの山口の球がどれほど速かったか。数々の証言が残されている。観戦したジョー・ルーツ前広島監督は〈その素晴らしいスピードはシリーズ中広島の打棒を完全に封じた。1人のプレイヤーがこれだけ素晴らしい働きをしたのは、私の長い野球生活でも初めてのことだった〉と語り、阪急の捕手だった河村隆一郎は後に〈対戦した広島の山本一義さんは<見えん。見えんかった>と言っていた〉(『剛腕ルーキーの「398球」』ベースボールマガジン2023年4月号)。 2年目以降の山口は、先発、リリーフと持ち場が固定せず、自身の好不調の波も大きかったことから、期待されたほどの成績を上げることができなかった。
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