阪神・筒井コーチ 叔父・星野仙一元監督に「感謝」 死去から7年…今なら分かる身内ゆえの厳しさ
阪神の元監督・星野仙一さん(享年70)が18年1月4日に膵臓(すいぞう)がんで亡くなってから、4日でちょうど7年がたつ。おいにあたる阪神の筒井壮外野守備兼走塁チーフコーチ(50)がしのんだ。 【写真あり】藤浪晋太郎 阪神選手らとのプライベートショットに「すげ~メンバー」 「もうそんなにたつんですね。おっちゃんは、とにかく僕に厳しかった。若い頃は“なんでやねん”“ええかげんにしてほしい”って何度も思ったけど、今はわかります。たくさん感謝しています」 筒井の母の弟が、星野仙一だった。おいと叔父。物心がつくまでは普通の親戚のおっちゃんだったが、上宮―明大と進むにつれて運命に抗えなくなっていった。東京六大学で首位打者に輝くなど明大4年時にはドラフト候補生に。「中日以外の11球団を希望していた」と振り返るが、星野監督率いる中日から1996年のドラフト7位で指名された。 「全然使ってもらえなかった。同じ力なら僕以外の選手の方を使うと言われていました。ファームで結果を出してコーチが1軍昇格を推薦してくれても、星野監督は首をタテに振ってくれなかった」 血縁関係にあるからこそ甘やかされなかった。あるとき、巨人の長嶋茂雄監督からかけられた言葉が忘れられない。「“仙ちゃんはなんで筒井を使わないんだろうなあ。でもそういう男なんだよなあ”。この言葉が励みになって一生懸命に頑張れたし、今でも野球を続けられています。圧倒的な成績を残せなかった自分のせいなのに、使ってくれない星野監督のせいにしていた当時の自分を今では反省しています」。おいである自分が悩んだように、叔父もまた苦悩していたことを知った。 星野さんが楽天監督に就任した11年頃から「叔父とおい」ではなく「野球人と野球人」として会話するようになった。阪神のこと、プロ野球界のこと…。そして最近、似てきたと周囲からよく言われるという。「そうなんかなあ。自分には分からないですが」。若い選手を厳しく指導し、時には愛情をかける姿は闘将そのものだ。 昨年8月15日、名古屋遠征の際にお墓参りをした際、お供えの花が真新しかった。1本早い新幹線で移動していた平田勝男ヘッドコーチ(現2軍監督)からの供花だった。「星野監督は、僕の叔父は、今でも多くの方たちに慕われるすごい人だった」。筒井は4日も空を見上げて手を合わせる。(畑野 理之)