「私が命令した」裁判直前、司令の方向転換~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#34
弁護団との「命令陳述」打ち合わせ
日付は1月15日。尾畑氏に返答、書いてある。見出しは「司令処刑命令陳述骨子」だ。 <1月15日 司令処刑命令陳述骨子> 1,幕田大尉 バンナ本部に呼び、司令より斬首を命令した 時刻 日没前後 2,田口少尉 バンナ本部士官室で斬首を命じた 夕食後、時刻ははっきり記憶せず 3,甲板士官 甲板士官及び藤中ら下士官約20名の刺殺処刑者に命令 4,前島中尉 処刑場準備は18時半頃 前島中尉に命じ、榎本は甲板士官として援助す 警戒及俘虜護送を命ず 5,処刑は18時30分頃、司令決意す 6,その他 本件に葬する命令は記憶せず
このうち、3の「甲板士官及び下士官約20名に刺殺命令」という部分には、大きく「?」の文字が記載されている。 さらに国立公文書館には、井上司令が捕虜を処刑する決断に至った、詳細な理由がわかる文書があったー。 (エピソード35に続く) *本エピソードは第34話です。
連載:【あるBC級戦犯の遺書】28歳の青年・藤中松雄はなぜ戦争犯罪人となったのか
1950年4月7日に執行されたスガモプリズン最後の死刑。福岡県出身の藤中松雄はBC級戦犯として28歳で命を奪われた。なぜ松雄は戦犯となったのか。松雄が関わった米兵の捕虜殺害事件、「石垣島事件」や横浜裁判の経過、スガモプリズンの日々を、日本とアメリカに残る公文書や松雄自身が記した遺書、手紙などの資料から読み解いていく。 筆者:大村由紀子 RKB毎日放送 ディレクター 1989年入社 司法、戦争等をテーマにしたドキュメンタリーを制作。2021年「永遠の平和を あるBC級戦犯の遺書」(テレビ・ラジオ)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞審査委員特別賞、放送文化基金賞優秀賞、独・ワールドメディアフェスティバル銀賞などを受賞。