「シリアで新たな独裁が始まる」は本当か? アサド政権を倒した反体制派組織「HTS」の意外な素顔
だが、反米軍闘争を続けるなかで、ザルカウィの存在感が際立ってくる。そんな中で、アルカイダとザルカウィは接近し、2004年にザルカウィのグループは「イラクのアルカイダ」と改称した。アルカイダ側は、アフガニスタンで敗北してパキスタンに逃れている苦しい状況で、反米軍活動で脚光を浴びているザルカウィのグループをフランチャイズすることで威厳を保とうという判断であり、ザルカウィとしては、イスラム聖戦界の輝くブランド名であるアルカイダを名乗ることで正統性を得ようとしたのである。 しかし、ウサマ・ビンラディンのアルカイダと、ザルカウィの「イラクのアルカイダ」は実質的に別組織である。アルカイダは「現代の十字軍(イスラム圏を侵食する欧米キリスト教徒主導国およびイスラエル)との闘争」を掲げた組織で、つまりは世界のイスラム圏全体での闘争を志向するのに対し、「イラクのアルカイダ」はそうではない。アフメド・シャラアらシリア人義勇兵も、あくまでイラクでの反米軍闘争である。 実際、両組織は幹部要員や資金、武器の支援関係もない名義上の関係にすぎず、闘争の方針も作戦の手法もあくまでザルカウィが指揮する彼の組織であって、ビンラディンの指揮・指導はない。当時、このように名義だけ借りたアルカイダのフランチャイズは他にもあり、たとえばアルジェリアを拠点とする「イスラム・マグレブのアルカイダ」などもあった。 こうした経緯なので、シャラアらが参加した組織が「イラクのアルカイダ」を名乗ったからといって、彼らは国際テロ組織「アルカイダ」の要員だったわけではない。報道解説の中には、アルカイダと「イラクのアルカイダ」を混同したものもあるので注意されたい。 ■ 「ヌスラ戦線」創設、闘争の最優先目的はアサド打倒 「イラクのアルカイダ」は、むしろ後のISの源流組織である。ザルカウィが2006年に米軍に殺害された後、指導部が大きく入れ替えられ、過激思想のアブ・バクル・バグダディがトップになる。バグダディは自身がイスラム共同体の最高指導者になるイスラム国家を建設し、世界を支配することを掲げて「イラクのイスラム国」(ISの前身)に改編するのだ。 シャラア自身はバグダディのIS結成に参加していない。彼はザルカウィ殺害とほぼ同時期の2006年に米軍に逮捕され、5年間収監される。2011年に出所するが、その頃、祖国シリアでは「アラブの春」に触発された大規模な民主化要求デモと流血の大弾圧が始まっていた。シャラアたちはシリアに帰国し、反アサド闘争を開始する。この時、武装闘争を始めるにあたって、旧戦友だった「イラクのアルカイダ」から小規模ながら支援を受けている。 シャラアたちはシリアで徐々に仲間を増やし、2012年1月、正式に「ヌスラ戦線」を創設した。当時、世俗派の反アサド武装ゲリラは「自由シリア軍」という名称で戦っていたが、ヌスラ戦線はイスラム系のジハード組織であり、そこはライバル関係にあった。しかし、ヌスラ戦線もあくまで闘争の最優先目的はアサド打倒だった。