事故責任…決着つかぬまま 勝俣元東電会長死去、原告ら「残念」
東京電力福島第1原発事故当時の東電会長、勝俣恒久さんが死去した。2002年の社長就任から約10年にわたり、経営を指揮。原発事故後は事実上の経営トップとして事故の収束に当たった。事故の責任は誰にあるのか。業務上過失致死傷罪で強制起訴された刑事裁判など、その決着がつかぬまま、この世を去った。 東電で政府などとの調整を担う企画畑を歩んだ。福島第1原発1号機などを巡るトラブル隠し問題で引責辞任した南直哉社長の後任で社長に就任。業界団体のトップなども歴任した。原発事故後は当時の社長清水正孝氏が体調を崩したこともあり、事故収束や政府との調整などで陣頭指揮を執った。原発事故対応の遅れでは批判の矢面にも立たされ、東電が実質国有化されるに当たり会長を退任した。その後は、旧経営陣が強制起訴された刑事裁判や株主代表訴訟などで当事者となった。 東電元経営トップの死去に、今も事故の責任を問い続ける訴訟の原告らからは「事故の責任を取ってほしかった」との声が上がった。 勝俣さんは業務上過失致死傷罪で強制起訴された刑事事件で一、二審ともに無罪となり、東電株主が旧経営陣に損害賠償を求める株主代表訴訟の被告になっている。刑事裁判は検察官役の指定弁護士が上告。刑事裁判と訴訟で原告代理人などを務める海渡雄一弁護士は「刑事事件、株主代表訴訟の手続きの途中で亡くなったのは大変残念だ」とコメントした。株主代表訴訟の控訴審は27日に東京高裁で結審を予定しており、原告代表の木村結さん(72)は「判決を控える中で亡くなったのは非常に残念。事故の責任はトップだった勝俣さんにあると思っている。福島の人たちのためにも責任を取ってもらいたかった」と述べた。 避難者らが国や東電に損害賠償などを求める福島生業訴訟原告団長の中島孝さん(68)は「最高責任者として被災者に申し訳ないという気持ちを示し、事故を反省し、東電として原発脱却を進めてほしかった」と話した。
旧経営陣トップの責任追及不可能に
勝俣さんが亡くなったことで、業務上過失致死傷罪で強制起訴された事件は被告死亡で勝俣さんのみ終結となり、刑事事件で旧経営陣トップの責任を追及することはできなくなった。 株主代表訴訟は、相続人が勝俣さんの債務を相続するか、放棄するかで変わる。
福島民友新聞