[山口県]66年間無事故で卒業へ関係者万感 火の山ロープウェイ10日の運行終了前に 下関市
下関市が進める火の山地区の観光施設再編整備計画に伴い、1958年4月から営業してきた「火の山ロープウェイ」の運行が10日で終了する。2027年3月ごろにパルスゴンドラ(固定循環式ゴンドラ)として生まれ変わる予定だ。10月末時点の累計乗車人数は約1350万人。66年間にわたって市民や観光客を運んできた乗り物の“卒業”を前に、運転に携わってきた人は「お疲れさま。ありがとう」と労をねぎらう。 【写真】関門橋がまだ架かっていない関門海峡をバックに運行する初代のゴンドラ(下関市提供) 関門海峡を見ながら約4分間の空中散歩が楽しめる火の山ロープウェイは、標高268メートルの山頂付近にある上駅と下駅の間(高低差165メートル)を2機のゴンドラが交互に上下して乗客を運ぶ。「満珠」「干珠」と名付けられたゴンドラは現在2代目で、初代は1978年まで活躍した。 市観光施設課の技術管理者としてロープウエーを動かす下岡多喜男さん(72)は73~79年の6年間、当時の市観光課索道管理係の職員として初代と2代目の両方を運転したベテラン。「最初は整備の仕事だったが、練習して運転を任された。(駅到着の際に)うまく止めないとゴンドラが揺れてしまう。乗客が怖がらないようにピタッと止める練習をした」と語る。 上駅舎にある運転室でゴンドラが近づくのを見つめ、右手でハンドルを回してブレーキをかけるやり方は開業当初から今も同じ。上と下のゴンドラで乗客の人数がどのように違うかでブレーキのタイミングが変わるため、重さのバランスの見極めが肝心という。 下岡さんは他の部署を移りながら2012年に定年を迎えたが、経験を買われて同年4月に再びこの職場に戻ってきた。復帰後初めての運転は「何十年ものブランクがあり不安もあったが、体が覚えていた。懐かしかった」と目を細める。 ロープウエーの管理を市から委託されている市公営施設管理公社の古沢卓巳主任(48)は入社した1994年からずっと運転に携わる。火の山ロープウェイとの出合いは幼稚園の頃。「親戚と一緒に乗って、海峡を窓からジーっと見ていたことを今でも記憶している」と話す。小学2年の時の夢は電車の運転士で、乗り物好きの性格からこの職を選んだという。 開業初年度は史上最多となる約55万人が利用したが、90年代後半からは年間乗客数が10万人を割るなど低迷し、運行の在り方を見直すため2003、04両年度に営業を休止。古沢さんは「どうなるか分からず、辞めようと思った。再開が決まった時は『またここでできる』とうれしかった」と振り返る。 ラストイヤーとなった今年は例年より多くの人が利用している。乗客にそれぞれの思いをシールに記してもらいゴンドラに貼っていったところスペースがなくなり、古沢さんの発案で上駅舎の壁の一部にペンでメッセージを書いてもらうことに。「ありがとう」などの文字やイラストが多く寄せられている。乗客が手を振ってくれるのも喜びの一つだ。 部品交換はしているがメインのモーターや直径2・3メートルの巻き上げ滑車は開業時のもの。営業終了後は駅舎と共に解体される。 古沢さんは「自分よりも年上の機械。新しいパルスゴンドラへの期待もあるが寂しい。最後まで乗客を笑顔にしたい」、下岡さんは「66年間無事故で来た。最後の日まで事故を起こさないようにしなくては」と気を引き締める。 運行最終日は午後4時半から記念式典を下駅で開く。最終運行は午後5時だが、利用者数に応じて臨時便も予定している。 また、11日以降は再編整備の工事が始まるため、安全上の理由から火の山の山頂・山麓両エリアの利用が制限される。市は「しばらく工事に入るので、10日までに今の火の山を楽しんで」と呼びかけている。