若い掛布雅之が王貞治から学んだ<ホームランの極意>とは。「優雅さが魅力だった田淵さんに、王さんのような厳しさも備わっていれば…」
◆翌年に戻った「鷹の目」 王さん自身、74年の打率3割3分2厘、49本塁打、107打点から、75年は打率2割8分5厘、33本塁打、96打点と大きく数字を落としました。 チームは巨人史上初めて最下位に沈み、王さんも13年続いた本塁打王のタイトルを田淵幸一さんに奪われたのです。 ところが王さんのすごいところは翌年には、あの鷹の目が戻り、再び本塁打王のタイトルを取り返すところです。 長嶋さんも監督2年目で動きました。日本ハムとのトレードで張本勲さんを呼び、チームを活性化させたのです。そして、最下位から優勝を果たし、また強い巨人が復活しました。 王さんが楽な表情で野球をやったのはその1年だけでした。
◆一度もない阪神V・2位巨人 王さんの1球に懸ける集中力は、巨人という勝利が宿命づけられたチームを背負う主砲としてのものでした。「絶対に勝たないといけない」という空気は阪神も含めて他のチームにはないものです。 田淵さんが1973年に優勝していれば、「俺の野球人生が変わっていた」というのは、そこなんだと思うのです。チーム一丸で戦う常勝軍団の巨人と、個がバラバラで戦った阪神。田淵さんの打席は優雅さが魅力ですが、王さんのような厳しさはありませんでした。 絶対王者として君臨していた巨人のV9を阻止していれば、勝つ味を覚えた田淵さんが、王さんや長嶋さんのように本当のチームリーダーとなり、阪神を常勝軍団に変えていたかもしれないのです。 2023年の阪神は18年ぶりにリーグ優勝を飾り、1985年以来の38年ぶり日本一に輝きました。巨人は4位で一度も優勝争いに絡むことはできませんでした。 阪神の6度のリーグVで2位・巨人という並びは歴史上1度もありません。阪神は何度もマッチレースで涙を飲んできましたが、逆に阪神がゴール前の競り合いで巨人に勝ったことは1度もないのです。 あの1973年のマジック1からのV逸の悔しさをいまだに払拭できていないと言えるのです。 ※本稿は、『虎と巨人』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
掛布雅之
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