野口五郎がポップス歌手には難しい「オペラの殿堂」でのコンサートに挑戦したワケ
《芸能リポーター・石川敏男の芸能界“あの出来事のウラ側は……”》 『私鉄沿線』『甘い生活』など数々のヒット曲を持つ野口五郎さんの’24年コンサートツアーが始まった。 【貴重写真あり】野口五郎「オペラの殿堂」東京オペラシティでのコンサート「一部始終」 昨年のディナーショーで初タッグを組んだNHK交響楽団のメンバー9人『ゲートウェイ・ゾリステン』とのステージ。場所は“オペラの殿堂”と言われる新宿にある東京オペラシティだ。 開演前にピアニストの長女・佐藤文音さん、妻の三井ゆりさんのいる楽屋に挨拶。そこで野口さんは、 「さすがに響きがすごい会場です。ポップス系のアーティストが、この会場に挑戦して惨敗していると聞いて、それなら“ここでやってみたい”と思いました。残響と戦いながら歌います」 と、この会場で歌う難しさと“挑戦”を話してくれた。会場のスタッフも 「ポップス歌手の方がコンサートで、この会場を使うことはほとんどないですね。私がここに勤めるようになって初めてかも」 と、証言していた。 オープニング。彼が選んだ曲は、シャンソンの『愛の讃歌』。その曲を華やかに甘く歌い上げ、1600席の満員のお客さんを引き込んでいく。 「ここは初めての会場なので、声を出すのが気になっています。恋も厄介だけど、声も厄介」 と、お客さんを笑わせ、お客さんとの距離を詰めていった2時間半、21曲。会場は50年前と同じ「キャー」という声援に包まれた。 「昔は黄色い声でしたが、今の皆さんは茶色の声」 と、笑わせたが、まだまだ黄色い「キャー」と聞こえたな。 誕生日の23日には、セルフカバーアルバム『GOROes by myself 2-City Pop-』が発売された。 コメディアンの大村崑さんが司会の『ちびっこのど自慢』へ出場したことが、野口さんが歌手になるきっかけだった。当時は今の天童よしみさんがライバルだったという。 1971年に演歌『博多みれん』でデビューしたが売れず、3ヵ月後に発売した『青いリンゴ』がヒットした。その翌年にデビューした郷ひろみさん、西城秀樹さんと新御三家として、華やかなアイドル生活が始まった。 そして翌年、’72年に『めぐり逢う青春』で、NHK『紅白歌合戦』に初出場。16歳10ヵ月での出場は、当時の最年少記録だった。 その後、芦田愛菜さん、鈴木福さんが7歳で出場している。 そして野口さんといえば、歌ともう一つ素晴らしいのがギター演奏だ。 子供の頃はプロ野球選手にあこがれていたようだが、足を痛めて以来ギターにのめり込んでいった。本人も 「足の故障がなかったら歌手にはなってなかったかも」 と答えていた。だからギタリストとしての歴史も長い。 中学生の時から当時流行だったキャバレーなどに出入りして演奏してきた。いわゆる「ハコバン」。地道に練習、腕を磨きギターコンテストにも多く出場してきた。 ギターに目覚めたきっかけはビートルズ。ギターの教本も数少ない時代に、独学で覚えたエレキギター。’82年、’93年、’14年にはインストアルバムを発表。ギタリストとしてもすぐれた音楽センスを評価されている。 だから彼のコンサートにエレキギターはつきもの。あまり知られていない話だと思うが、演歌歌手のレコーディングスタジオで、ミュージシャンとして参加している野口さんの姿を目撃している音楽関係者も多い。 そんな、野口さんの魅力がたっぷり詰まったコンサートだった。決してオペラシティという会場にも負けてなかったな。 文:石川敏男(芸能レポーター) ‘46年生まれ、東京都出身。松竹宣伝部→女性誌記者→芸能レポーターという異色の経歴の持ち主。『ザ・ワイド』『情報ライブ ミヤネ屋』(ともに日本テレビ系)などで活躍後、現在は『めんたいワイド』(福岡放送)、『す・またん』(読売テレビ)、レインボータウンFMにレギュラー出演中
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