柏原を超えた青学の“新山の神”は登り坂が苦手だった
今大会、「山の神」を超える男が出現するのを誰が予想しただろう。函嶺洞門の通行禁止に伴い、早川を渡るバイパス道路を通るため今回から一部コースが変更した。距離の再計測により、従来の23.4kmから23.2kmになったが、実際は従来の距離よりも約20m長いコース。柏原が樹立した1時間16分39秒の区間記録は参考扱いになるとはいえ、神野は間違いなく“神”の記録を上回った。 柏原は闘志をむき出しにして、足を地面に叩きつけるようなダイナミックな走りで、山を駆け上がったが、神野の走りはまったく違った。軽量ボディを生かして、スイスイと泳ぐように坂道を進んでいった。原監督は夏合宿での神野の走りを見て、5区に起用すること考えたという。しかし、神野本人は、自分の能力に半信半疑だった。実は上り坂が不得意だったからだ。 「高校時代から坂道は苦手意識があったんです。坂ダッシュなんて遅いですよ。でも、箱根5区のように上り坂が続くようなコースは、山の適正よりも、我慢強さが1番ポイントになると思っていました。僕は速いペースで上ることはできませんが、上りはキロ3分30秒~4分00秒くらいなので、そのペースなら我慢できる。それに体重は軽い方が、ダメージは少ないはずです。自分は体重が43kgなので、53kgの選手は10kgのダンベルを持って走っていると思えば、有利になりますからね。今日は気象条件も良かったので、好記録につながったと思います。我慢強さには自信があったので、そこは柏原さんよりも上だったのかな」 中学時代は陸上部に所属しながら、土日はクラブチームで野球をやっていた。しかし、身体が小さいこともあり、野球の試合には出られなかったという。そこで野球をやめて陸上に集中するが、3000mのベストは10分27秒。県大会にも出場できなかった。それでも、早大で箱根駅伝に4年連続出場した中京大中京高校の小田和利先生に“才能”を評価されると、高校入学後に急成長した。 「高校2年生のインターハイ愛知県大会で入賞することができて、自分の人生が変わったと思います」と神野。そこからは、「自分は勉強ができなくて、陸上がダメになった自分の人生は終わるなと思っているので、人生のために走っています」と言い切るくらいに、競技にすべてを注ぎ込んだ。 「5区は凄く走りたかったわけじゃないですけど、近年は5区を走れたチームが総合優勝しています。監督から『5区で快走したら国民的ヒーローになれるぞ!』と言われていたので、チャンスだと思いました。ここまで自分が走れるとは思っていなかったので5区を走って良かったです。往路優勝のテープを切るというイメージが現実になりましたが、まだ夢なんじゃないかと思うくらいうれしいです。スタート前の召集時に『ジ ンノ』と呼ばれたんですけど、これで少しは知名度が上がりましたね(笑)」