ジェーン・バーキンが教えてくれた、老いても輝くたったひとつのやり方。
老いるのはぜーんぜん怖くない。ジェーン・バーキンが世の女性に与えた最も強力なメッセージはそれだと思う。 フランスらしさを体現したジェーン・バーキン、象徴的な20枚の写真で振り返る。 ある日雑誌を読んでいたら、ジェーン・バーキンの美の秘訣はドクターハウシュカのリップクリームだと書いてあった。それですぐそのリップクリームを愛用してしまうほどには私は彼女のミーハーなファンであった。もちろんドクターハウシュカのリップクリームは言わずと知れた名品である。筆にとってたっぷりぬると少しオレンジに色づいて、唇がふっくらする。"美の秘訣"が真紅の口紅でも、重力にゴリゴリ逆らう最新美容液でもない、そんな自然派ブランドのリップクリームだというのが、彼女の人となりを表しているかのようだった。 ジェーン・バーキンはその魅力もイメージも、若いころからずっと1本まっすぐに続く道のようだ。 たとえばブリジット・バルドーはそうではない。若いころのブリジット・バルドーと現在のブリジット・バルドーを思うとき、まるで2人の別の女性であるようにも感じる。それはコケティッシュなイメージが強かった昔のブリジットと、いまの動物愛護に情熱を燃やすブリジットが別人のようだからといってしまえばそうなのだが、単に世間が若いブリジットに求めていたものは、人間が年を取っても追い求めていけるような性質のものではなかったからだと思う。 しかし「フレンチロリータ」と呼ばれたジェーンに世間が求めていたものだって、もしかしたらブリジットと同じだったかもしれない。 ジェーン・バーキンについて語られるとき必ず語られるもの、「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」、その歌のタイトルを初めて目にしたとき、きっと男が「ジュ・テーム("愛してる")」と歌い、ジェーンが「モワ・ノン・プリュ("私も愛してない")」と歌うのだと思った。そのタイトルの二律背反的な響きを愛した。けれど実は「ジュ・テーム」と歌うのがジェーンで、「モワ・ノン・プリュ」と歌うのは彼女より18も年上のセルジュ・ゲンズブールの方なのだと知ったとき、何だかそれは公平ではないように感じて美しさは消え去り、愛することはできなくなってしまったのだった。 それから母親になり、酒乱で暴力を振るうセルジュから子どもを抱えて逃げ、のちに和解して、娘たちも人気を獲得し、長女ケイト・バリーを亡くして、嵐を通り抜けたあとのジェーン・バーキンは、もちろんもう以前と同じ「フレンチロリータ」ではなかった。それなのに彼女の魅力は変容しながらも厚みを増し、不思議と、その核にあるイノセンスは決して失われなかった。 人は「年を取るごとに魅力的」だとか「年齢とともにますます美しさが増して」だとか、いとも簡単に言ってしまう。私だって言う。でも若いとき特別輝いていた人に、年を取ってなお強い魅力で本当に引きつけられることはめったにない。年を取るとは、枯れ行き朽ちるとは、そういうものだからだ。 昔あるイケメンが「彼女の前のおれよりも、妹の前のおれのほうがイケメンだ。妹の前でおれは毛ほどもイケメンであろうとしないからだ」と言っていた。真理だ。「飾らない」ということは、弱みをさらさないということだ。だれにもジャッジする隙を与えないということだ。 私たちが目にするジェーンは、年齢を重ねるごとに笑顔が大きくなっていき、深い皺が刻まれて、髪が短くなり、ほとんどすっぴんで、筋張った手や首も隠そうとしていなくて、世間が若いモデルや女優に求めるようなものをもうすべて失ったあとに、その失ったあとのありのままを世界にさらした。その姿は、それこそがジェーン・バーキン、まさに私たちが求めるジェーン・バーキンそのものだった。 だれも失望しない。もう若いころのような美しさはなくても、めいっぱいの笑顔をむけるだけでじゅうぶん。くたくたのバーキンにたくさんの荷物を詰め込んで、シャツの袖はこれ以上なくベストな長さに捲られている。どんな人間離れした美貌を誇る女優にもこんなことはほとんど起こりえないだろう。