カギを握る場所、甘味処「竹もと」のモデルは? 「虎に翼」がより面白くなる7つのポイント
3:米津玄師による主題歌
トップアーチスト・米津玄師(34)による主題歌「さよーならまたいつか!」も好評を博している。 「さよなら100年先でまた会いましょう 心配しないで」 この下りは男女不平等の時代に絶望していた女性たちに向けられているのだろう。 米津によるドラマ主題歌はTBS「MIU404」(2020年)の「感電」などに続いて5曲目だが、これまでの主題歌とは一味違う。 「寅子の生き様に思いを馳せ、男性である自分がどのようにこのお話に介入すべきか精査しつつ『毎朝聴けるものを』と意気込み作りました」(米津) ドラマの中には出来合いの楽曲を制作者とレコード会社との思惑によって主題歌に据えるものもあるが、米津の楽曲は完全書き下ろしである。
4:カギを握る場所、甘味処「竹もと」のモデルは?
第5回には寅子の母親・はる(石田ゆり子・54)が東京地裁裁判官の桂場等一郎(松山ケンイチ・39)を叱り飛ばす場となり、第9回では寅子と明律大女子部法科の仲間4人が集まった甘味処「竹もと」。 この店のモデルは東京・神田須田町にある「竹むら」と目されている。木造の入母屋造りで3階建て。座敷席もある。外観も内装もそっくり。明律大のモデル・明治大のある神田駿河台にも近い。 「竹むら」はお汁粉と揚げまんじゅうなどが人気で、食通で知られた作家の池波正太郎氏も愛した。しかし、創業は1930(昭和5)年であり、寅子が明律大に入った当時はなかった。 一方、寅子のモデルである三淵嘉子さんは実際に甘味処に行くのが好きで、明治大専門部女子部法科に第4期生として入学後、仲間3人と東京・銀座の甘味処「銀座若松」に通った。こちらの創業は1894(明治27)年。「竹むら」と三淵さんの甘味処通いのエピソードから創作されたのが「竹もと」なのだろう。 なお、「銀座若松」はテナントとして入る商業ビルの建て替え工事により、昨年末に130年の歴史に幕を下ろした。
5:女性の高等文官試験司法科(現・司法試験)合格率
三淵嘉子さんは編入先の明大法学部を卒業してから約半年後の1938(昭和13)年11月、同級生の中田正子さん、1学年下の久米愛さんとともに高等文官試験司法科に合格した(合格者総数242人)。女性の合格者はこの3人のみ。東京朝日新聞(現・朝日新聞)が「快挙」と大きく報じたほどだった。 愛さんは嘉子さんより3歳年上。司法科試験の合格時には結婚していた。戦後は戦争による貧困が原因で犯罪に走った女性たちなどの弁護に当たる一方、日本政府代表として国連総会に出席。公平な社会の実現を訴えた。 正子さんは嘉子さんより4歳年上。戦後は弁護士として活躍し、同時に婦人雑誌で法律が絡む読者の悩みに答えた。 当時の司法科試験の合格率は10%以下。戦後の司法試験の合格率も低く、1960年度は約4%、1970年度は約2.6%、1980年度は1.7%。「最も難しい国家試験」と言われ続けた。 1992年以降は国がたびたび司法試験改革を行ったため、近年の合格率は20%台~40%台。うち女性は2~3割を占めている。