河瀬に関する案内板設置、佐山ゆかりの幕末の志士、地区史研究会【山口】
山口市の佐山地区史研究会(泉秀夫会長)は、ゆかりの幕末志士、河瀬眞孝(1840~1919年)の両親と家系の墓の案内板を設置した。幕末から明治時代にかけて優れた業績を持ちながら、あまり知られてない河瀬の周知を図っている。 河瀬は当時の佐山村で生まれた。幼名は石川小五郎。1864年の功山寺決起で高杉晋作を支援し、明治維新の礎を築いた。英国へ留学し、明治天皇侍従長、英国特命全権公使など政府の要職を務めた。幼少期には宇部の領主であった福原家の養成所「菁莪(せいが)堂」で漢学を修め、英国留学に際しては福原芳山と同行するなど宇部との関係も深いという。 墓は佐山西の河内神社横にある。墓所の奥から手前に石川家、河瀬の父・石川淳介眞彦、母・幹の墓が並んでいる。墓を囲む石には河瀬眞孝の名も見える。案内板には各墓の紹介と河瀬の業績を記した。 泉会長は「優れた文才を持ち、幕末だけでなく明治時代に入っても日本の近代化に尽力した河瀬を知る人が増えてくれば」と話した。 同会は1990年に発足し、河瀬をはじめ地区の歴史を伝えてきた。史跡などの案内板の設置は2020年度から始め、今回で4カ所目。河瀬関連では墓近くにある生家の案内板も設置した。