人は必ずしも合理的に意思決定するとは限らない
■マクロ視点で、人・組織・企業は同質化する この企業が求める「社会的な正当性」を、レジティマシー(legitimacy)と呼ぶ※2。制度理論によると、企業は時に利潤・経営資源獲得のためではなく、社会的な正当性を動機に行動する。もちろん何が「社会的に正当」かは、国・地域・業界で異なりうる。特定のレジティマシーが通用する範囲を、フィールド(field)と呼ぶ。プレーヤー間が埋め込まれた関係にあり、互いに影響しやすく、共通言語があって交流しやすい範囲のことだ。例えば日本と米国、金融業界と製造業等は、多くの場合で異なるフィールドといえるだろう。 図表1を見ていただきたい。新しいフィールド(例えば、新しく生まれた産業)では、最初は様々なタイプの企業が存在し、収益獲得のために各社が様々な行動を取る(ステージ1)。しかし、やがて特定の「行動」「ビジネス慣習」「仕事の仕方」(図表のフィールドAなら○、フィールドBなら△)が、多くの企業に採用されていく(ステージ2)。最初のうちその理由は「○を選んだ企業の多くが成功したから」かもしれず、○を選ぶのは一定の合理性があるのかもしれない。 しかし、さらに多くの企業が○を採用すると、やがて残りの企業は「他社がやっているから」といった、心理的・認知的な近さからだけの理由で○を採用するようになる。合理性ではなく、「正当性」で○が選ばれ始めるのだ(この詳細なメカニズムは3種類あるので、後述する)。結果、そのフィールドでは「まず○をしないと話にならない」という「常識」が生まれ、ほとんどの企業が○を採用するようになる。フィールド内の企業が同質化していくのだ(ステージ3)。 この同質化プロセスを、アイソモーフィズム(isomorphism)と呼ぶ。ポール・ディマジオとウォルター・パウエルが1983年に『アメリカン・ソシオロジカル・レビュー』(ASR)に発表した論文で提唱した、制度理論の根幹メカニズムである。同論文こそが、(社会学ベースの)制度理論の起点だ※3。制度理論によると、フィールド内の人・企業は同質化する本質があるのだ。実際、我々の周りを見回せば、人・企業は、実は面白いほど互いに「似た」ことをしている。それが「常識」になっているので、普段は気づかないだけだ。 よく考えると、本書でもこれまで紹介してきた経営理論の大部分は「なぜ企業XとYは違うのか」といった企業の差異を説明するものがほとんどだ。第1章で紹介したSCP理論の「差別化戦略」がそうだし、第3章の資源ベース理論(RBV)の中心命題も、他社と異なる(=稀少で模倣困難な)経営資源が重要という主張だった。しかし、より高所からマクロの視点で見れば、フィールド内の企業はむしろ驚くほど「似ている」のだ。SCP理論やRBVは、より細かい差異を見ているにすぎない。 例えば、少し前までの「日本のビジネス界」というフィールドでは、どの企業もおしなべて従業員を重要なステークホルダーと位置付け、雇用は守られがちな一方、株主価値は重視されてこなかった。日本では新卒は軒並み4月採用だ。初めて会う相手とは、うやうやしく名刺交換をするのも日本のビジネス界ならではの常識だ。このようにフィールド内では、人は認知的な制約から特定の行為を「常識」ととらえてしまうので、「なぜそうあるべきなのか」の合理的な理由を考えなくなる。結果、社会的な正当性を求めて、人・組織は常識に染まり、同質化していくのだ。 一方で、例えば米国のビジネス界という異なるフィールドでは、むしろどの企業もがおしなべて株主価値を重視し、業績が悪化すればどの企業も同じように人員削減を行う。採用は通年採用だ。誰もうやうやしく名刺交換をしたりはしない。これは日本と米国どちらが良い悪いということではなく、日本のビジネス界と米国のビジネス界それぞれのフィールドで同質化が進んだ結果、異なるフィールドでは「常識」が異なっているということにすぎない。 フィールド内の同質化は、業界という単位でも起きる。例えば金融業界の人は、スーツで身を固めることが「常識・正当」になっている。Tシャツにジーンズでは「銀行員らしくない」と言われてしまうだろう。逆にスタートアップ企業は、スーツを着ないことがスタートアップ企業らしいと正当化され、スーツで身を固めていたら浮いてしまう。業界固有のアイソモーフィズムにより、服装も同質化するのだ。このような「常識」を総称して、「制度の論理」(institutional logic)と呼ぶ。 【動画で見る入山章栄の『世界標準の経営理論』】 社会学ベースの制度理論 ソーシャルキャピタル理論 知の探索・知の深化の理論 ※1 ゲーム理論については、本書『世界標準の経営理論』第8・9章を参照。 ※2 例えばMeyer, J. W. & Rowan, B. 1977. "Institutionalized Organizations: Formal Structure as Myth and Ceremony," American Journal of Sociology, Vol.183, pp.340-363. を参照。 ※3 DiMaggio, P. J. & Powell, W. W. 1983."The Iron Cage Revisited: Institutional Isomorphism and Collective Rationality in Organizational Fields," American Sociological Review, Vol.48, pp.147-160.
入山 章栄