コロナ禍で"高校限り"も考えた野球人生、大学で改めて知った楽しさ 残る試合も全力で「この仲間とできるのも、あと少し」
同志社大学の岡村匠樹(なるき、4年、敦賀気比)は小学2年から始めた野球生活に大学限りでピリオドを打ち、来春からは一般企業に就職することが決まっている。次のステージへつなげるため、最後まで笑顔で野球人生を締めくくる。 【写真】コロナ禍だった高校3年の夏、福井独自大会を戦った岡村匠樹
試合を重ねるごとに「自信を持って臨めるように」
「グラブに当たったんですけれど……。ボール1個分の差でした」 9月30日、ほっともっとフィールド神戸であった関西学院大学との2回戦。2-2で迎えた六回に1点を勝ち越され、さらに2死満塁のピンチで一塁方向に飛んだライナーが、一塁を守っていた岡村のミットをかすめ、右翼線へ抜けていった。走者一掃の三塁打となり、試合を決められた。 今春から4番に座る岡村はバットでも精彩を欠き、5打数無安打。「今、野球人生で一番っていうくらい絶不調なんです」と現状を明かしつつ、「オープン戦は調子が良かった。1試合3安打の試合もあったんですけど、8月の下旬にちょうどオープン戦が残り10試合くらいになったところで(調子が)落ちてきて。それでも何とか踏ん張ろうと必死だったんですけど、リーグ戦に入っても続いています」 関西学生リーグ戦デビューは2年の秋。3年になってからスタメンの機会が増え始め、持ち前のパワーを買われて中軸を打つようになった。なかなか結果は伴わなかったが、「気持ちの準備というか、いかに平常心で試合に臨めるようにできるかとか、リーグ戦を経験するたびに分かるようになって、自信を持って試合に臨めるようになりました」と振り返る。
基本の大切さをたたき込まれた敦賀気比時代
高校時代は2年夏に背番号14をつけて、甲子園でベンチ入り。チームはベスト16まで勝ち進んだ。2回戦の國學院久我山(西東京)戦では代打で登場し、右越え二塁打を放った。 当時は笠島尚樹(今季読売ジャイアンツ)と御簗龍己(現・福井工業大学4年)の2年生バッテリーをはじめ、下級生が多く、新チームになっても競争が激しかった。敦賀気比は福井県内で常勝軍団と言われてもおかしくないほど、常に上位に進出する。勝ちにこだわる分、基本の大切さを徹底的にたたき込まれた。 「高校の時、一番厳しく言われたのは『当たり前のことをどれだけ当たり前にやれるか』でした。堅実さを求められる中で、できることは絶対にやる。バッティングは調子の影響があっても、守備や走塁は常に全力で。その中でのミスは絶対に許されませんでした」 冬場は雪や降雨でグラウンドを使えない日も多く、その時期はひたすら室内練習場で基礎練習を繰り返した。年によっては雪が数十cm積もることもあり、室内練習場にこもったまま1日が終わることも。そのたびに自分に厳しく向き合った。 新チームで岡村はキャプテンに任命された。個性の強いメンバーをまとめつつ、厳しい練習にも真摯(しんし)に取り組んだ。学校とグラウンド、寮という限定的な環境で甲子園だけを見つめて鍛錬してきた。だが、コロナ禍最初の年だった高校最後の夏は、全国高校野球選手権大会が地方大会を含めて中止になった。岡村は、野球をやめようと思ったと振り返る。 「自分でも強いチームだと思っていました。(春の選抜大会出場がかなわず)夏の甲子園を本気で狙っていました」と岡村。それだけに「かなりショックでした。必死に頑張ってきたのに……。その時、『もう野球は高校で終わってもいいかな』と思ったんです」