【ラグビーコラム】走り続ける女性たち。(森本優子)
「カンレキ試合のことなんだけどさあ…」 1年前、以前から交流のある名古屋レディースの知り合いと何人かで食事を共にする機会があった。そこで出てきた冒頭の会話、咄嗟に漢字変換できなかった。 カンレキ=還暦。人生60年の節目である。昨年、メンバーの何人かが区切りを迎えることを記念して、当事者たちで試合を企画しているという話だった。これまで男子の選手では聞いてきたが、女子ラグビーと還暦は結び付かなかった。確かに、お祝いは試合が相応しい。 名古屋レディースは1987年創部、女子ラグビーチームの草分けである。もとは名古屋市にあるブラザー工業のハンドボール部を中心に発足、社外の部員も入ってくるようになり、クラブチームとして活動を始めた。昨今は人数が揃わず、全国規模の大会にはエントリーしていないが、2012年に開催された第25回交流大会では日体大女子を32-7で下して優勝。スポーツ紙には初代女王の見出しが躍った(写真)。
歴史があるだけに、還暦試合自体は以前、チーム内の紅白試合として行われていたようだ。2回目となる今回は昨年9月3日、「レジェンドマッチ」と銘打って、パロマ瑞穂ラグビー場で開催された。発起人の一人である玉置文子さんは高校時代バレー部に所属、名古屋市が主催する「ラグビー体験会」に参加したことをきっかけに、名古屋レディースに入部。以来、楕円球を友としてきた。第1回ワールドカップ日本代表メンバーでもあり、現在は「愛知ラガール」で中高生の女子選手を指導している。 当日、グラウンドが使えたのは1時間。7分ハーフ1本、タッチラグビーでの実施となったが、玉置さんによると「それで十分でした(笑)」。チームに対象者は6人。試合には4人が出場し、ファンクションには全員が揃った。試合には名古屋レディースOGに加え、以前から交流のあった他チームにも連絡し、全国から同志が集合。創成期の女子ラグビーの結束を確かめあった日となった。 5月初旬の日曜、名古屋レディースの練習に足を運んだ。名古屋市にある啓明学館高校の女子部員、愛知ラガールの選手も加わって十数人。その中に元日本代表である岡田梨加さんの姿もあった。岡田さんは高校時代から名古屋レディースに所属、ラグビー歴は30年を超える。名古屋市内で居酒屋を営んでおり、平日は早朝から市場に足を運ぶ。女子日本代表の黎明期、所属は名古屋レディースが多かった。今も岡田さんの足の筋肉はアスリートのそれだ。 「名古屋レディースは、様々な年代の選手と一緒にやれるのが楽しい。昔は試合が終わったあと、一緒にビールを飲むのが楽しみだったけど、徐々にその傾向が薄れてきたのはさみしい気もします」 チームは毎週日曜、名古屋市近辺のグラウンドで練習するが、強制ではなく「来てもいいし、来なくてもいい」。それゆえ長く続けることも可能で、九州在住で、来られるときに参加する部員もいるそうだ。一時期は部員が減少したこともあったが、「自由さがいい」と最近、また部員が増えてきた。継続こそ力なり、を地でいっている。 強化に特化した昨今の女子ラグビー。その進化は目覚ましい。選手たちは鍛え抜かれたアスリートで、試合を観ていて惚れ惚れする。同時に、どんな世代の女性でも気軽に始められて、マイペースで続けられる場もあったらなあと感じる。シニア世代の女子選手も各地にいると聞くが、強化を離れると、まだまだ女子だけでチームを編成できる環境にはない。名古屋レディースも、15人制となると合同チームだ。 ボールを持って走る楽しさ、試合後に飲むビールの美味さ。それはすべての選手に与えられたラグビーの価値だ。自然体でプレーを楽しむ彼女たちは限りなくカッコよく、頼もしかった。 【筆者プロフィール】 森本優子(もりもと・ゆうこ) 岐阜県生まれ。1983年、ベースボール・マガジン社入社。ラグビーマガジン編集部に配属され38年間勤務。2021年に退社しフリーランスに。現在トヨタヴェルブリッツチームライター。