アメリカで言う「真に独立した個人」ってどういう人?
「君も出世ができる」(須川栄三監督、1964年東宝、同年5月30日公開)という映画がある。日本では数少ない本格的ミュージカル映画だ。 歌詞を先般天寿を全うした詩人の谷川俊太郎が手がけ、音楽は黛敏郎。谷川・黛のゴールデンコンビによる音楽を歌い踊るのはフランキー堺に高島忠夫、雪村いづみに浜美枝に中尾ミエという豪華メンバー。それら主演陣を、益田喜頓、有島一郎、ジェリー伊藤、藤村有弘といった一癖も二癖もある個性派俳優が支える。日本映画最盛期の良さがいっぱいに詰まった一本だ。 10月に東京オリンピックを控えた東京。海外からの観光客でひともうけだと浮き立つ旅行会社で、出世第一のモーレツ社員の山川(フランキー堺)と、いつかタクラマカン砂漠に行ってみたい夢想屋の中井(高島忠夫)は働いている。そこに片岡社長(益田喜頓)の娘、片岡陽子(雪村いづみ)がアメリカ滞在を終えて帰ってくる。会社の経営をなんでもかんでもアメリカ流に改革しようとする陽子、逆玉のこしで出世だ!と陽子にアタックする山川。しかし陽子は徐々に夢見がちな中井に引かれていくようになる――。 ●“アメション”ってご存じですか この映画中盤の見どころは、陽子が歌う「アメリカでは」というナンバーだ。オフィスいっぱいの社員たちを前に、陽子は「アメリカではああしている、こうしている」と指摘し「あなたたちもそうしなさい」と命令して社内を引っかき回す。 陽子は次々に日本社会の旧悪を糾弾する。オフィスでの私用電話、時間稼ぎのだらだら残業、出張旅費の水増し請求……こんな非合理的なことは、全部アメリカにはありませんっ、と切って捨てる。彼女の歌は、そのまま社員たちによる群舞になだれ込む。 なぜ「君も出世ができる」の「アメリカでは」が、「アメリカではこうだから、あなたたちもこうしなさい」という内容なのかといえば、それが一般の観客に受けるネタだったからだ。なぜ受けるネタだったかといえば、実際に社会の中に「アメリカ万歳、アメリカのまねをしよう」という雰囲気があったからだ。(なお、本稿の「アメリカ」はアメリカ合衆国のこと、以下も同じ) 天皇の権威を押し立てて19世紀の帝国主義が渦巻く国際社会へと船出していこうとした大日本帝国は、成立から78年目にして、自分から戦争を仕掛けておいて死者310万人を出して敗戦、無条件降伏、国家主権を喪失し、占領軍がやってきての占領状態という日本史上最大の失敗をやらかして崩壊した。 当然、その後には反省が来る。アップツーデートな近代国家になって、国際社会の先頭に立つのだという希望・野望から始まったはずの国が、なぜ歴史上最大の失敗とともに崩壊することになったのか。 反省の中に、「やり方が悪かった」というのがあった。日本はアメリカと比べて社会の動かし方が悪かった。だから敗北した。次は、アメリカのまねをし、アメリカのような社会をつくり、それをアメリカより効率よく動かして、次こそアメリカを圧倒するのだ――。 そのためにはまずアメリカ社会を知らねばならない。というわけで、敗戦後数年をして、政治家や会社経営者、芸能人などの間でアメリカ視察ブームが発生した。 当時は、日本人の海外渡航に制限がかかっていて、留学や渡航先からの招待などの特別な理由がないとアメリカには行けなかった。しかも1ドル360円の固定相場制。持ち出せる外貨額にも制限がかかっている。アメリカ視察に行けたのは少数であり、実のある視察ができた者はさらに少なかった。 もちろんアメリカに行くと箔が付くぞ、とばかりに、視察そのものが自己目的化し、なんとか渡航しようとする俗物もいる。かくして「アメション」という流行語が発生した。アメリカにいってションベンする程度の短期間で帰ってきたのに、何かと「アメリカでは」と見聞を振り回す者を皮肉る言葉である。 1964年4月1日、すなわち「君も出世ができる」がロードショー公開される2カ月前に日本人の観光旅行目的の海外渡航が自由化される。ここから経済成長とともに海外旅行は一般化し、さらに10年を経た1970年代半ばには、行儀の悪い一般の日本人の集団海外旅行が問題化するほどになった。 つまり、1964年5月に、映画で雪村いづみが歌いまくる「アメリカでは」とは、それまで一部の“偉い人”と“お金持ち”のものだった「君、アメリカではこれこれだよ。はっはっは」という「アメション」が一般大衆にも広がっていく号砲だったのである。