杉江松恋の新鋭作家ハンティング 背理法による推理で謎に迫る医療×本格ミステリ『禁忌の子』
比喩として言うならば、体幹の強い小説である。 山口未桜『禁忌の子』(東京創元社)は第34回鮎川哲也賞を受賞した作者のデビュー作だ。同賞は謎解きの結構を重視した、いわゆる本格ミステリー長篇を対象としている。帯に「現役医師が描く医療×本格ミステリ」との文言が躍っているので、まずはその関心で読んだ。ほう、医療ミステリで本格か。 主人公の武田航は、兵庫市民病院救急科に勤務する医師だ。妻・絵里香は妊娠中で、出産の日が近づいている。 ある日病院に、海で発見された水難者が搬送されてくる。死亡確認をしようとしてその顔を見た武田は愕然とした。自分と瓜二つだったのだ。この、キュウキュウ十二と呼ばれる死体は何者か、ということが読者を引き込む序盤の謎となる。 序盤の、と書いたのは謎の関心が移り変わっていく小説だからだ。キュウキュウ十二の正体を突き止めようとして動く武田はやがて、生島リブロクリニックという産婦人科の医院に辿り着く。そこで密室状態の縊死体が発見されるというのが中盤の始まりである。そこからは定石通り、アリバイ検討による犯人探しや、密室がどのように構成されたかという謎解きが主になって話が進む。 本稿では伏せるが、序盤から中盤にかけてキュウキュウ十二に関する医学的な問題が浮上してくる。それが事件捜査と並行する謎となり、終盤までもつれこんで読者をやきもきさせるのだ。終盤は、不意打ちの意外性で読ませるショッカー的な展開となり、ここで本格ミステリー的な味がやや薄まるのがもったいないと言えばもったいない。しかしそれを上回る驚きがあるので満足度は高く、描かれる主題について深く考えさせられることにもなるので、しっかりしたものを読んだ、という実感と共にページを閉じることになるはずである。ミステリーとしてのまとまりをつけようとして物語が理に落ちすぎたものになるよりは、このほうがずっといい。小説としての完成度はかなり高い。新人賞の応募作品ということを考えると、図抜けていると思う。 探偵役を務める城崎響介は、武田と同じ病院の消化器内科医師である。二人は中学の同級生で、道が分かれた後にまた再会したという経緯がある。武田は城崎から、中学時代にある秘密を打ち明けられていた。友人は感情の起伏が極端に少なく、周囲に合わせて穏当な態度を選択し、無用の軋轢を回避しているのだという。「感情に体温があるとすれば、僕は変温動物じゃなくて、恒温動物なんだ。低めの体温でずっと一定してる」と城崎は言う。 キュウキュウ十二と自分との間に何か関係があるのではないか、と思い悩んだ武田は旧友に相談する。城崎は背理法を採用することを提案した。「ある命題Aが真であることを証明するために、まずAが偽であると仮定する。仮定した偽を証明する過程で、矛盾が生じた場合、逆に命題Aが真であることが示される」ので、キュウキュウ十二と武田の間に隠された関係がない、ということを命題に設定するならば偽は、キュウキュウ十二と武田の間に隠された関係がある、である。つまり武田の身辺を調べていって、矛盾が生じるかどうかを見ればいいのだ。この背理法を扱った推理が、本作の大きな魅力になっている。 正直に言えば、城崎・武田のコンビにキャラクターとしての目新しさはなく、好感は持てるが普通の主人公だな、と思いながら中盤まで読んでいた。既視感もある。関西弁で話していることもあるが、火村英生と有栖川有栖を連想させるのである。多くの人は外面しか見たことがない城崎に別の一面があると武田が知っていて、その内面を慮っているところなども似ている。似ていること自体は別に瑕ではないので、別に構わないのだ。 ところがこれは、読者を吊り込むための仕掛けだった。小説の中で最も重要な場面において二人の関係が大きく物を言う箇所がある。それに気づいたとき、あ、ここまで考えていたのか、と大いに感心させられた。こういう風に序盤から中盤の印象だけでは判断しかねるところがある。最後まで読んで初めて真価がわかる小説には、途中で作品の様相がどんどん変わっていくものと、話を構成する要素や物語の雰囲気自体はずっと同じなのに、次第にその密度が高まっていき、最初とはまったく違う手触りになるものと二種類ある。『禁忌の子』は後者だ。さりげなく書かれた場面の意味が後になって重要になっていき、物語の意外なところを埋めるというようなことも起きる。 キュウキュウ十二に関する医学的な問題と上に書いたが、これも医療小説では先例のあるものだ。その題材が出てきたときに、なるほどこの路線なのか、そういう方向にこの先進んでいくのだろうな、と目星をつけた。本作でその問題に関する議論が飛躍的に深まったり、まったくなかった別視点が提示されたりするというようなことはない。あくまで堅実な路線に留まるのだが、問題の重さは読者の胸に刻み込まれることだろう。登場するひとびとの人生に絡め、深く考えざるをえないような書き方がされているからだ。読者の興味を惹くためだけの書きぶりでは、ここまでの質感は醸し出せない。 ミステリーとしては物足りない部分もある。巻末に掲載された選評にも指摘があるので重複は避けるが、たとえば犯人当ての小説としては、やや単線気味である。犯人が判明した際、あっけない印象を受けるはずだ。もし意外性を出すのであれば、偽の手がかりを振りまいて容疑者候補をもっと増やさなければならない。新人賞には枚数規程があるので、それは不可能だっただろう。つまり、応募作であるための限界が作品の質を規定している部分があるのだ。それはやむをえないことである。制限を受けたことで作品の最も優れた部分、物語を支える体幹の確かさが浮き彫りにされたという一面もある。 物語を書いていくための技巧がすでに骨肉化した作者だ。選評を読むと物語の結末について評価が分かれるのではないか、という懸念も表明されていた。そういう風に読者を挑発するところがあるのもいい。世界に服従するのではなく、新しい観点によって蘇生させるのが小説だからだ。新しい息吹が鮎川哲也賞という歴史ある賞に吹き込まれた。
杉江松恋