人生でいちばん衝撃を受けた異国の味といえば…〈稲田俊輔×甘糟りり子〉
日本人ほど積極的に外国の料理を食べたがる人種はいない─。バブル期のイタメシブーム、エスニック料理の襲来、スペイン・バルの流行、最近の町中華ブーム……日本人はさまざまな外国料理を食べてきた。日本人好みにアレンジされた味を好む一方で、「本格的」「本場」を尊ぶ日本人。そんな矛盾が生む悲喜こもごもの物語や、外国料理の受容と変遷の知られざる歴史、最新の食トピックスを、料理人で飲食店プロデューサー、エッセイの名手でもある稲田俊輔さんが『異国の味』に綴った。対談のお相手は、『鎌倉だから、おいしい。』など食にまつわる著作も多い甘糟りり子さん。食いしん坊二人の注目料理も飛び出した。(構成=砂田明子/撮影=大槻志穂) 【書影】新刊『異国の味』
これは日本の〝端〟から見た物語
稲田 僕はちょうどバブルの頃、日本の端っこの田舎の高校生でした。そこでテレビや雑誌を通じて、東京は華やかで恐ろしいところだ、という強烈なイメージを持ってしまったんです。自分なんかが東京に行ったら、バブル・ピラミッドの最底辺で、ダンゴムシのように潰れてしまうのが関の山だろうと。東京の大学を目指す人間が多い高校でしたが、そういうわけで京都に進学し、大阪や名古屋で働いてきました。対して、ピラミッドの頂点にいたのが、甘糟さんですよね。 甘糟 それはどうでしょう……(笑)。 稲田 それはそうなんです(笑)。で、何が言いたいかと言いますと、この本には、いち生活者としての僕の目から見た世界だけを書いています。全体を俯瞰(ふかん)するのは不可能なので、むしろ開き直って、日本の端から見た異国の味の物語だけを書きました。甘糟さんから見た物語は、たぶん全然違うと思うんですよね。 甘糟 それはそうだと思いますが、とても面白かったです。稲田さんのご専門は南インド料理ですよね。異国の味というテーマはどうやって生まれたんですか? 稲田 本業が特殊な世界だけに、日本で異国の味を伝える難しさと向き合ってきました。でも考えたら、〝先達〟はいっぱいいらっしゃるんです。かつてはスパゲッティといえばナポリタンだったのに、イタメシブームが起きて、本場のイタリアンが浸透していく。一方で、微妙にローカライズされた進化も遂げています。あるいは中華では、最近は気楽で親しみやすい町中華がブームになると同時に、中国人が中国人のために営む本格的中国料理店が一部で増えています。 甘糟 ガチ中華ですね。 稲田 はい。だからジャンルごとに広まり方はそれぞれなんだけど、どこかに共通項を見出すこともできて、双方を面白いなと思ったのが発端でした。 甘糟 稲田さんの本、お店の具体的な名前が出てこないですよね、カプリチョーザくらいしか。それは意識的に? 稲田 そうですね。この本に限らず、チェーン店は出すけど個人店は出さない、をポリシーにしています。僕が紹介する店と同じような店があなたの生活圏にもあるはずだから、無理なく通える範囲で見つけてほしいという思いからです。 甘糟 私に足りない視点だ(笑)。 稲田 それができるのは、今の時代だからです。たとえば僕は甘糟さんの『東京のレストラン』(1998年)を、勉強するような気持ちで読みました。あの時代は、こんな美味しいものがあるよと、まず、啓蒙してもらわなくちゃいけなかった。 甘糟 読んでくださっていてうれしいです。当時はスマホもなかったですしね。 稲田 そう。食べログすらなかったわけですから、具体的な情報が必要でした。 甘糟 私、経験値はあるほうなんですが、稲田さんのような記憶力と分析力がないので、なるほどなあと思うことがたくさんあって。食の読み物としても面白いのはもちろん、新しいものを日本に根付かせるとか、新しいブームを作るための戦略の本でもあると思いました。 稲田 うれしいですが、当の本人にヒットさせる力がないですからね……。 甘糟 してるじゃないですか! 稲田 ヒットのうちに入らないです。 甘糟 ぜひ、鎌倉にもご出店を。 稲田 出せるなら出したいですけど、鎌倉の方々の飲食に対するリテラシーの高さは、頼もしくもあり、怖くもあります。 甘糟 最近、鎌倉でビジネスをしたい方の相談を受けることが多くて、私、物件にも詳しくなってきたんです。 稲田 なんと。心強いです!