『宇宙よりも遠い場所』はいしづかあつこ監督の才能耀く傑作だ 高校生の選択が問うもの
他人の選択に批判をする人たちに向けた問い
結果、4人の少女が南極に向かって歩み始めることになって、訓練をこなしたり過酷な船旅を乗り越えたりといったドラマが繰り広げられる。そうした南極行きにまつわる興味深いエピソードであり、南極そのものの魅力といった部分だけが『宇宙よりも遠い場所』の面白さではない。というより南極はあくまでも目標であり象徴であって、そこに挑む気持ちの方が重要なのではないかと思えてくる。 それというのも、物語ではキマリたち4人の少女が、「南極行き」をきっかけにして、それぞれが壁を乗り越えようとしている姿が描かれていくからだ。報瀬には母親を探すという目的があるが、存命を信じているというよりは、南極行きなどムリだと言った周囲を見返したいという気持ちがあった。キマリは何もしてこなかった自分が熱中できることのひとつとして南極行きを選んだ。 日向は他人と合わせることが苦手で高校に行かないまま大学を目指そうとしていた中で、その時でしかできないことをやろうとした。そして結月。少しだけ展開に触れるなら南極行きはお仕事で、それが嫌だったところに何かをやろうとして集まったキマリと報瀬と日向に触れて、自分も仲間に加わりたいと思っていた。 『宇宙よりも遠い場所』は確かに少女たちが南極に行く話だが、観る人に同じように南極に行くことを求めている訳ではない。自分を貫くこと。変わりたいと願うこと。そんな生き方を自分自身で選ぶ大切さを知ってもらおうとした物語なのだ。 前澤友作の宇宙行きと同じように、キマリや報瀬の南極行きにもさまざまな批判の声が出る。けれども、そうした声がどのような気持ちから出てくるものなのかが物語の中盤で強烈に示されて、批判をする人たちに問いかける。あなたは何をしたいのかを。あなたは何かをしようとしているのかを。 前澤友作は宇宙に行きたかった。だから宇宙に行った。小淵沢報瀬は南極に行きたかった。だから南極に行こうとした。それに巻き込まれるようにキマリは自分を変えようとした。それが羨ましかったり妬ましかったりしたら、自分でも何かを始めればいいのだ。そうすることで人生をより豊かなものにしていけるのだということを、第13話「きっとまた旅に出る」のラストまで観終わった人なら、強く感じることだろう。