麻倉未稀 乳がん発覚で文字通りの「八方ふさがり」を経験… 改めてわかった名曲「ヒーロー」の偉大さ
見つかった乳がん
自身のデビュー35周年の記念イヤーだった2016年を忙しく走り終えた麻倉。アーティストとしてだけでなく、父が大病を患ったことで、その看病も含め、公私ともに東奔西走した。 その後、「自分もきちんと身体の検査をしておこう」と考えていたが、父がICUに入り、なかなか出てこられない状況となったこともあり、タイミングを逸していた。 そうした中、17年4月にテレビ番組の企画で人間ドックを受診することとなったが、その検診で受けたCTスキャンで胸部に影が映っていた。 「それより前から、時々、何か変だな、という気持ちもあって。(胸部が)つるような感覚もあったんです」 とはいえ、自分の身に生じていた変化の重大さにまでは気付いていなかった。検査から4日後、精密検査を受けてくださいという連絡をもらった日には、バレエのレッスンに出掛けようとしていたところだったという。再度、CTスキャンを撮ったが、「しっかり映っていて、これは大ごとだな、と」とある程度の覚悟を持った。 だが、乳がんにはタイプがあるといい、「それが判別するまでは治療に進めないんです。だから先々まで仕事は入っていたけど、将来が見えなくなってしまって」と八方ふさがりに陥ってしまった。 ひとまず、タイプが分からないので、万が一放射線治療に連日通わなくてはならなくなった場合、居住する神奈川県藤沢市から東京まで、わずかの時間の放射線治療のために長い時間をかけて通うのも、体力を消耗する。藤沢市の病院に通うことが決まったものの、八方ふさがりの状況が変わったわけではなかった。 「それまでもいろんな壁を乗り越えてきたと思っていたけど、こんな八方ふさがりはなかった。どこにも進めない。これが本当に八方ふさがりというのだなと実感しました」 5月の大型連休明けにようやくがんのタイプが分かり、手術日程も決まった。 「先生、手術後、すぐに歌えますか?」 麻倉がそう尋ねると、「3日したら歌えるから」との答えが返ってきた。 麻酔の掛け方によっては声が出るまで1カ月かかると聞いていたが、「気管挿管を抜く際にのどに傷がつくケースがあり、そうするとすぐには歌えないのですが、特殊な挿管で傷をつけないようにするため、私と執刀する先生と麻酔科の先生の都合が合う6月22日に手術をすることになりました」。 当時は乳がんを公表していなかったため、事務所に前後1週間のスケジュールを空けてもらうように依頼し、全摘出、乳房同時再建の手術を無事終えた。