2004年にもロシアで起きていた大規模テロ…不肖・宮嶋が現場となった中学校で見た「凄惨な光景」
ベスラン学校占拠事件
2004年9月1日、北オセチア共和国のベスランの中学校に31人のチェチェン武装集団が侵入、あらかじめ体育館床下に隠していた大量の武器や爆発物を取り出し、おりからの卒業式に出席していた児童や父兄1100人以上を人質にして立てこもった。もうそのやり口からして用意周到かつ悪質である。第一、そんな大量の武器を学校に運び込んで床下に隠すなんていう工事というか工作に、学校側が誰も気がつかんかったというのも不思議であるが。 そして、ロシア政府は交渉人をたてたものの、プーチン大統領は同時に特殊部隊、あのいまだ謎に包まれた「スペスナッズ」までベスランに派遣する。3日には特殊部隊とチェチェン武装集団との銃撃戦が始まり、人質が閉じ込められていた体育館(バスケットコート)に武装集団が仕掛けていた爆発物が爆発、炎上したのち、特殊部隊が学校全体を制圧。事件は解決。その直後に、不肖・宮嶋らが硝煙たちこもる現場に入ることができたのである。
現場は凄惨を極めた
1100人以上の人質は武装集団によりせっまい体育館にすし詰めにされていた丸三日間、食糧や水すら与えられず、おりからの蒸し暑い気候に人質たちは渇きに耐えられず自分の尿まで口にしたぐらい、現場は凄惨を極めた。あげく特殊部隊との銃撃戦と爆発、火災のため1100人の人質のうち児童、父兄334人が死亡したのである。なお警察官、特殊部隊員や救急隊員も22人も銃撃戦により死亡、テロリスト31人全員も射殺されたり、自爆したりして、人質を巻き込んで果てた。そんな現場に外国人カメラマンである不肖・宮嶋が自由に入れ、生存者にインタビューもできた。テロリストか特殊部隊、どっちから飛んできたか分からん銃弾によって負傷した生徒や児童らも病室で堂々、写真が撮れたのである。 1100人が閉じ込められ異臭漂う体育館は予想以上にせまく、ここで爆発物の炎に焼かれ断末魔を上げ、非業の最期を遂げた児童や父兄の無念、家族を失った遺族の悲しみ、怒りは察するに余りあった。可愛い我が子をこんな無残な方法で殺され悲しみのあまり失神して倒れこむ親や祖父母も見られ、とても話しかけられなかった。けがを負い、病室で横たわる児童らは皆、飢えとのどの渇きの苦痛とそれを知りながら、児童の前でテロリストらがラプシャ(麺類)をうまそうに食べていたという残酷性を訴えた。