「社会的地位のための結婚」規範が根強く残る背景 「そうであるべき」人生モデルからの解放を
アジアにルーツを持つ研究者ともよく話すのですが、これについては共感されることが多く、特に家族規範が日本と近いといわれる韓国では、ある年齢を超えてシングルとして生きることの難しさ、伝統的といわれる人生のパスから外れることへの社会的な視線について日本と同様の厳しさがうかがえます。ミドル期シングルという状態が望ましいものではない、と社会が決めつけ、それに抵抗するにも疲れてしまう、なので、なるべく「みえない」状態でいたいのよ、と自らのことを説明してくれた人もいました。
■エイジズムとミドル期シングル さて、冒頭の「社会的地位のための結婚」に戻ってみましょう。ここでは、社会的地位というものは、年齢や性別といったものによってある役割を振り分け、その役割に沿った行動をするものに与えられる、とも捉えられます。 エイジズムという言葉はある年齢にステレオタイプをはめ込み、それによって差別したり、扱いが変わることであり、高齢者も若者も、ミドル期も、誰でもそれに該当する、と言われています。
どんな年齢で何をするか、それをしないなら、どこかおかしい人と思われる、というのであれば、才能のある若者や元気な高齢者、そして地域で活躍したいミドル期シングルも、居場所、活躍する場をなくしてしまう可能性があります。 自分のことをわかってくれる少数の仲間たちとだけ付き合い、その他とはかかわらないでいよう、みえないでいよう、というのはなんとも残念です。人口減少が進み、気候変動等による苛烈な自然災害が頻発し、戦争がやまない世界の情勢などを見ていると、このようにひとつの「そうであるべき」人生モデルによって役割を規定してしまう余裕が私たちにはないように思えます。
すべての人が活躍、ということが簡単に言われますが、まずは、年齢やそれに紐づく婚姻状態で人々をステレオタイプ化せずに、個人として社会に認められることは大事です。 私がかつて暮らしていたアメリカの中規模の町では、地域の活動、NPOなどに多くのミドル期シングルが参加していました。知恵も体力もある彼らは、別にシングルだから、未婚だから、と臆することなく、むしろ主力メンバーとして、高齢者、家族、若者たちをリードしていました。