山辺赤人が『万葉集』で詠んだ富士山は、たった2文字で解釈が変わる...「降りける」か「降りつつ」か?
<英語で読めば、『百人一首』の理解がもっと深まる...。『百人一首』の翻訳者として知られる、ピーター・J・マクミラン氏が百首の謎を一つ一つ解き明かす>【ピーター・J・マクミラン (翻訳家・日本文学研究者)】
男性が女性のふりをして和歌を詠んだのはなぜか? 主語のない歌をどう解釈するのか? 【画像】山辺赤人 『百人一首』の翻訳者として知られる、ピーター・J・マクミラン氏が『百人一首』の百首の謎を一つ一つ解き明かしていく...。話題書『謎とき百人一首──和歌から見える日本文化のふしぎ』(新潮社)より「4 山辺赤人」の章を抜粋。 ■富士山は「実景」か「想像」か? 田子(たご)の浦にうち出(い)でてみれば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ Coming out on the Bay of Tago, there before me, Mount Fuji-- snow still falling on her peak, a splendid cloak of white. 【現代語訳】田子の浦に出て眺めてみると、真っ白な富士山の高嶺に、雪が降りしきっていることだ。 この歌も、もともとは『万葉集』の和歌である。「田子の浦」はこの歌が有名になったことをきっかけに、富士山を望む景勝地として和歌に詠まれ始める。日本を象徴する山にとって大きな意味を持つ一首なのである。 さて、もともとの『万葉集』の歌は、現在の研究では「田子の浦ゆうち出でて見ればま白にそ富士の高嶺に雪は降りける」と読まれる。 『百人一首』や『新古今集』に収められた本文とは、初句、第三句、結句が違っている。『万葉集』が漢字のみで書かれているため様々な読み方があり、『百人一首』の読み方もその一つであったのだろう。 このうち一番大きな違いは、結句が『万葉集』では「雪は降りける」になっているのに対し、『百人一首』では「雪は降りつつ」になっていることだ。 「雪は降りける」の場合、雪はもうすでに山頂に積もっている。この歌の主人公は田子の浦を移動してきて、ふっと視界が開けたときに、冠雪をいただく見事な富士に出会った、その感動を詠んでいることになる。 一方「雪は降りつつ」の場合、雪は山頂に降り続けている。実際には田子の浦から富士山はかなり遠いから、山頂に雪が降りしきる様子を見ることはできない。 つまり「雪は降りつつ」という結句で描かれている景色は実景ではなく、心の中に想像された観念的な山頂の様子である。 『百人一首』の本文は現実的でない、という批判もあるようだ。だが私は、田子の浦に出て白い山頂を見やりながら、目には見えなくても、あの山頂には今も雪が降り続いているのだろうと想像してみるこの歌が好きだ。 たった二文字で解釈ががらっと変わるのも、そして『万葉集』と『百人一首』、それぞれの本文において、富士山が異なる魅力を発揮しているのも、とても興味深い。 ところで、私は富士山が大好きで、富士山の麓(ふもと)に別荘を構え、長年、週末ごとに富士山の近くで過ごしていたことがあったほどである。 翻訳者としても、古くは『風土記』や『万葉集』から、現代の俵万智まで、富士山が登場する文学作品を幅広く探して、数年かけてその英訳を完成させた。『富士文学百景』という名で、いつか出版できればと思っている。 また、私は「西斎」の雅号で「新富嶽三十六景」という版画も制作している。もちろん、「西斎」は「富嶽三十六景」を描いた葛飾北斎に因んだ名前である。 私は常々、日本の古典文学作品に見られるような人間と自然とが一体化した世界観と、自然から切り離された現代に生きる私たちの感覚との間に溝を感じている。それを表現するために、北斎の「富嶽三十六景」へのオマージュとして、「新富嶽三十六景」を制作したのだ[編集部注:トップページの写真]。 その中から一点ご紹介したい。富士山が世界遺産に登録されたお祝いに、富士山と折り鶴をあわせてみた。富士山ひいては日本文化が世界に羽ばたいていく様を表現し、日本文化が世界により広まっていくことを祈願した作品である。
ピーター・J・マクミラン (翻訳家・日本文学研究者)