松山城土砂崩れ「なぜ梅雨に工事を」救えなかった命…文化財は“足かせ”になったのか?
7月12日未明に発生した松山城・城山の土砂崩れ。幅50m、長さ300mにわたって木々や土砂が流れ落ち、麓の民家やマンションを直撃しました。 土砂で押しつぶされた木造住宅に住んでいた90代と80代の両親、そして同居して介護をしていたという40代の息子の3人が亡くなりました。 因果関係はまだ不明ですが、土砂が崩れた現場上部にはブルーシートがかけられています。松山市によると、去年7月の雨で被害を受けた「緊急車両道」の擁壁や道路の補修工事を、今月から実施していたということです。 被災した麓に住む複数の住民たちは取材に対して訝しげに語ります。 「なぜ、もっと早く梅雨が始まる前に工事を完了しなかったのか」(被災住民) 市は、必要な手続きがあったため時間がかかったとし、「早く工事をしたいという思いはあった」と説明。土砂崩れと工事の関係については、今後専門家らを交えて調査していくことになっています。 取材を進めていくと、文化財の保護と工事、そして災害対応の難しさが浮かび上がってきました。 (報道部 植田竜一)
“できるだけ早く工事をしたかった”
松山城・城山の上部にある「緊急車両道」の擁壁。この擁壁が去年の梅雨の大雨の影響で傾いたことから、松山市は7月から復旧工事を始めたところでした。 しかし擁壁の傾きがひどくなり、地面に亀裂が入っていることも確認されたことから、市は応急処置として擁壁を撤去する作業を行ったということです。 去年の梅雨に擁壁の傾きが確認されてから着工までおよそ1年。工事まで時間がかかった理由について野志市長は。 「担当の方から国の史跡、文化財でありますので、文化庁の許可が必要なんだと、また、指示される発掘調査が必要なんだと聞いております。松山市としては早く工事をしたいという思いはもちろんあります」 国指定の史跡である松山城での工事には、予め踏まないといけない法的な手続きがあったと言います。
なぜ工事まで1年間かかったのか
松山市によると、去年9月に市議会で「緊急車両道」復旧工事の補正予算案が可決。 11月には工事に向けた発掘調査を文化庁に申請し、12月中旬に文化庁から現状変更(発掘調査)の許可を得て、同月22日に市が受領しています。 今年1月下旬、工事箇所に埋蔵文化財がないか発掘調査を実施。2月には調査結果を市の審議会に報告した上で、4月に文化庁へ工事申請。 そして、およそ1か月後の5月17日に文化庁内で工事の許可が出て、同月22日に受け取ったということです。 文化庁の担当者によると、「許可が出る期間も手続きも他の文化財の事例と同様で、通常のプロセス」だったということ。 松山市から届け出を受けて、文化庁内で最終的な決裁が下りる「審議会」に諮る期間も約1か月と通常通り。届け出の面で市からの資料に不備や遅延した点はなかったということです。 文化庁は計2回、市から“ボール”を受けていますが、2回とも1か月半ほどで投げ返しています。 つまり、文化庁も松山市もできる限り速やかに、1つ1つ手続きを踏みながら事業を進めていった結果、1年間という期間がかかったということになります。