「もう続けるしかない!」大規模アイスショーの舞台裏、フィギュアブームの追い風と羽生結弦の存在感
日本で毎年開催されるアイスショーの中でも独特の地位を築いてきた「ファンタジー・オン・アイス」。著名なミュージシャンが出演することでフィギュアスケートファンに知られる、国内アイスショーの代表格だ。 アーティストとスケーターのコラボ、サーカスを彷彿とさせるフライング・オン・アイス、ムービングステージの使用など、新しいことにも挑戦し続ける。前編に続き、後編ではCICによる一社制作体制、座長に近い立場でこのショーに関わってきた羽生結弦さんに注目する。 【写真を見る】「ファンタジー・オン・アイス」にとって、とりわけ大きな存在となったのが五輪2連覇の羽生結弦さんだ
前編:「大規模アイスショー」が人気を獲得した独自性 ■経営安定のために必要だった“看板商品” 前編でも触れたとおり、「ファンタジー・オン・アイス」は、珍しい制作体制を取っている。イベント企画・制作を専門とするCICが一気通貫にショーを作り上げ、運営しているのだ。共同主催、後援、開催地の企業を中心とする協賛企業など関係先は多いが、ショーの中身に関しては多くのことがCIC一社で完結するため、小回りがきき、制作上の自由度が高くなる。そして、外注費用も抑えられる。
CICは、なぜこうした運営スタイルをとるようになったのか。 同社の真壁喜久夫社長は、日本のアイスショー文化の立役者の一人として知られる人物だ。2001年、勤務していたイベント制作会社からフィギュアスケートを含むイベント部門を独立させる形でCICを設立。同年、フィギュアスケーターの中でも当時とくに人気のあったフランスのフィリップ・キャンデロロさんを招いて開催したのが、「フィリップ・キャンデロロ ジャパンツアー2001」だった。
「私たちは当初、受注仕事で売り上げを立てる制作会社でした。でも、経営を安定させていくには、よそから受注した仕事だけでなく、“自社商品”を持たなければいけない。そこで、私自身の得意分野、フィギュアスケートでイベント主催事業を確立しようと考えたんです」(真壁社長) 【写真】羽生結弦さんや荒川静香さんなど、「ファンタジー・オン・アイス2023」の様子(7枚) そもそもアイスショーという文化は欧米が先行し、日本では「フィギュアスケート=冬季五輪」というイメージでしか知られていない時代が長かった。「フィリップ・キャンデロロ ジャパンツアー2001」は、CICが自らの力で立つための第一歩であると同時に、日本にエンターテインメントとしてのフィギュアスケートを輸入する取り組みでもあった。