アイルトン・セナとホンダの深い絆、マンセルとの涙の抱擁......F1フォトグラファー・桜井淳雄がとらえた名場面
【1992年/第13戦イタリアGP】 グランプリ初日の金曜日、ホンダの川本信彦社長(当時)が東京で記者会見を行ない、1992年シーズンをもってF1活動を休止すると発表します。同じ日にレース会場となったモンツァ・サーキットではセナも会見を行ない、涙ながらにホンダへの感謝を述べていました。 レースではウイリアムズの2台がトラブルで戦線脱落し、セナが優勝。ホンダに通算70勝をプレゼントしました。レース後、ホンダのスタッフと日本人のプレスが集まって、みんなでシャンパンで乾杯したことを覚えています
【1992年/第16戦オーストラリアGP】 最終戦のオーストラリアGPは、セナがホンダをドライブする最後のレースとなりました。有終の美を飾りたかったセナですが、レースでマンセルと接触してリタイア。僚友のゲルハルト・ベルガーが優勝します。 ホンダとの最後のシーズン、セナは3勝を挙げたもののドライバーズ選手権ではウイリアムズのふたりとベネトンの若きミハエル・シューマッハにも先行され、ランキング4位に終わります。僕のなかでは、強いセナが見られた最後のシーズンになりました 前編<アイルトン・セナの最期は「覇気がないというか、苦悩に満ちていた」日本人F1カメラマンが目撃した表情の変化>を読む 堂本光一インタビュー<「アイルトン・セナは僕のアイドル」伝説のレースに大興奮した少年時代を語る>を読む F1フォトグラファー・熱田護インタビュー前編<「アイルトン・セナほど人間的な魅力にあふれるドライバーはいない」心残りは「独占写真のフィルムを盗まれ...」> F1フォトグラファー・熱田護インタビュー後編<アイルトン・セナを愛したF1カメラマン・熱田護のベストショット6選「どんどん彼の魅力にひかれていった」> 【プロフィール】桜井淳雄 さくらい・あつお 1968年、三重県津市生まれ。1990年と1991年の日本GPよりF1の撮影を開始。これまでに400戦以上を取材し、F1やフェラーリの公式フォトグラファーも務める。YouTubeでは『ヒゲおじ』として公式チャンネルを開設し、GPウィークは『ヒゲおじ F1日記』を配信し好評を得ている。
川原田 剛●取材・文 text by Kawarada Tsuyoshi