「悲劇のヒロイン的立ち位置」に嫌悪感 車いすの高校生がつづった生きづらさ
佐野夢果(ゆめか)さん(静岡・掛川東高校3年)は、手足の力が徐々に弱くなる病気が原因で車いす生活を送っている。社会から「障害を受け入れて笑顔で頑張る姿」を期待され、苦しみ葛藤する中で気付いた「ありのままでいる大切さ」を語ってもらった。(文・黒澤真紀、写真・本人提供)
「社会の声」に苦しんで
佐野さんは保育園のときから車いす生活を送っている。「重いものは持てないのですが、日常生活は問題ありません。メールもスマホでチェックしています」。学校には車で送迎してもらい、補助員に教科書の出し入れなどをサポートしてもらいながら授業を受けている。 「障害をもっていてかわいそう」「障害があるのに頑張っていてえらいね」。幼い頃から何度もそう言われ、次第に「障害者は頑張ることが正解とされているのだ」と感じ、苦しくなった。 「社会から求められているのは『障害を受け入れて笑顔で頑張る私』。でも、いつも頑張ることはできません。私自身、障害を受け入れているわけでも、受け入れてないわけでもないのだから」 1日中障害のことを考えているわけではない。しかし、社会の声や視線に「障害をもっていてかわいそう」「障害があるのに頑張っていてえらいね」のどちらかで見られていることを意識させられるとつらくなる。求められる役割を演じようと頑張るうちに、「受け入れる、受け入れない。どちらも正解なのに」と思うようになった。
「障害は私の全てではない」のに…
小学生の頃から文才を開花させ、作文コンクールでは多くの受賞歴がある。勇気を出して書いた作文が評価されるのは本当にうれしいことだ。ただ一点、「障害があるのに賞をとってすごいね」の声をかけられること以外は。「この言葉を聞くと、障害という入れ物の中に私がいると思わされてつらくなる。障害は私の全てではない。一要素でしかないのに」 モヤモヤした気持ちを受け入れようとしたこともあるが、そう言われるたびに葛藤し続けてもキリがない。自問自答を繰り返し、当事者研究の本を読んだりしながら考えて、「障害者としてくくられることのモヤモヤはいったん置いておく」術も身に付けながら日々を過ごした。