工藤勇一校長が<服装の制約>と<宿題>を廃止した深い理由とは…「宿題がないと勉強しない」と話す保護者に僕が伝えたいこと
◆宿題を出さない理由 服装の規制だけではありません。 宿題や定期テストを廃止したのも、「自律」を促すための手段のひとつです。これは、麹町中の校長4年目の実践です。 「宿題を出さない」と聞くと、皆さんショックを受けるようです。いきなり頭を殴られたみたいな感じなのでしょう。 しかし、そもそも僕が子どもの頃を振り返ってみると、大量の宿題なんか出されませんでした。大量の宿題が出されるようになったのは、学校の評価が相対評価から絶対評価に変わってからです。 特に評価方法が観点別評価に変わり、関心や態度、意欲というそもそも数値化しづらいこと(非認知スキル)の評価が求められるようになったことで、宿題の量が増えてきたのだと思います。 宿題の提出状況で関心や意欲を評価すること自体、文科省が求めていることとはまったく違っていますが……。 宿題を出されても、ちっとも重荷ではない子どももいますし、とても大変になってしまう子もいます。 例えば、1回見ただけで簡単に内容を覚えてしまう子どもがいます。東大に入った方々の多くが、個人の特性として情報処理や記憶能力が高いのは容易に想像がつくはずです。 その一方で、現実には何度見て学んでもすぐ忘れてしまうという子どもが大勢います。 その両方に同じ分量の宿題が出されます。処理能力が速い子どもにとっては、どうってことありません。どれだけ課題を与えられても短い時間で処理できるので、1日24時間のうち、自由時間もたくさんとれます。 しかし、同じタスクを与えられ、処理スピードが遅い子どもにとっては、とても大変です。いくら頑張っても終わらないので、自分の自由時間を削らなければならなくなります。
◆最も非効率な学習習慣 子どもたちは宿題を提出しないと自分の成績が悪くなるわけですから、大量に宿題が課された子どもたちの行動パターンは明らかです。できるだけ宿題を短い時間で終えるため、宿題の「わからないところ」を飛ばして「わかるところ」だけを勉強するようになります。 おわかりだと思いますが、「わかるところ」だけを勉強する子どもたちの学力は、基本的に伸びません。 つまり、結果として時間だけ奪われて学力がつかないという、最も非効率な学習習慣が身につくことになるわけです。 そもそも学校が宿題を課すのは、何のためなのでしょうか。 「通知表の成績をつけるため?」 それとも「生徒に学習習慣をつけさせるため?」 多くの教師がこんな本質的な問いでさえ、考えなくなっているように僕は思います。 「学習習慣をつけさせるため」という、さももっともらしいことを主張する教師の中には、宿題を子どもたちに課すたびに「わかるところだけやってきて。わからないところは飛ばしてきていいから」なんて指示する方までいます。 僕は情けなく思ってしまいます。乱暴な言い方に聞こえるかもしれませんが、「学習習慣が大切だ」というフレーズさえ、僕には正しいことなのか疑問に思えます。
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