「ネットでだらだら」は必要な時間という新視点 「サボっている」と糾弾するのはナンセンス
■頑張りすぎて限界に達すると… 自分の好きなローフィングの手段が禁止されても、従業員の脳はいくらでも別の方法を見つけて、ひと息ついてみせる。あらゆる息抜きが禁じられても、虚空を見つめてぼーっとすることは可能だ。 「怠惰」とされる行為をやりたくなるのは往々にして、一生懸命に働いた証拠であり、ひと息つくべきという信号なのだ。 人が携わるほとんどの仕事には、振り返りや計画、クリエイティブなアイデアの発案などのための時間が必要だ。
私たちはロボットやコンピューターではない。食べたり寝たりするのと同様に、だらだらする無為な時間も必要なのだ。「怠惰」になることを恐れるあまり、この充電への欲求を無視していると、深刻な事態を招きかねない。 「怠惰」だと非難されがちな一見「悪い」行動は、実は警告信号であり、生活のどこかを変える必要を強く訴えている。組織レベルでは、従業員に怠惰な行動が見られる場合、職場マネジメントの問題を示している。
職場の生産性を研究している産業組織心理学者のアネット・タウラー博士によると、不適切なマネジメントやいじめを受けると、従業員は欠勤の増加などの「怠惰」な行為でやり過ごすようになるが、これはひそかな警告信号なのだ。 「無断欠勤は、有害な職場で見られる初期兆候の一つね」とアネットは言う。「無断欠勤をする従業員が出てくると、マネジャーは『なんだ、みんな怠けやがって』って部下を信用しなくなるのだけど、実際には、部下はいじめや有害な職場を避けようとしているのよね」
頑張りすぎて限界に達した人には、いい加減な態度や無気力が目立つようになる。職場への遅刻や友人との約束のドタキャンも増える。料理など家事をやる気もなくなり、よく居眠りをし、単純なゲームをぼーっと続けている。 衝動が抑えられなくなり、元気もなくなる。これらの症状は、その人のダメさや怠慢を示しているのではない。瀬戸際まで追い詰められている危険信号なのだ。 ■サボりは人間の標準仕様 こうした「怠惰」な行動は、数世紀にわたって悪者扱いされてきたが、実際は何も悪くないし、有害でもない。サボりは人間の標準仕様であり、頭をスッキリさせて健やかにいるためには働かない時間が必要なのだ。
怠惰な気分は私たちの内からの強い警告で、「もっと休養を」「手助けが必要だ」「タスクを減らすべきだ」と心身が訴えているのだ。 この怠惰の信号にきちんと耳を傾ければ、自分の欲求を理解して、本当に価値のある人生を送れるようになる。
デヴォン・プライス :社会心理学者・作家