「泥くさい1点でも取りたい」…転職と練習生を経て選手に 初ゴール目指す25歳アイスホッケー選手 長野市育ち
長野市で育ったアイスホッケー選手でアジア・リーグ、横浜GRITS(グリッツ)に所属する運上(うんじょう)雄基さん(25)=横浜市=が、初ゴールを目指して奮闘している。大学卒業後は社会人チームに籍を置いたが、新型コロナの影響で「不完全燃焼に終わった」との思いが残り、転職や練習生を経て昨年1月2日に選手契約を結んだ。それから1年。まだゴールを奪えていないが「体ごと押し込むような泥くさい1点でも取りたい」と決意を語る。 【写真】横浜GRITSに所属する運上さん
札幌市出身。日本リーグの国土計画(後のコクド)で選手や監督を務めた父、一美さん(64)の影響で、長野市浅川小1年で競技を始めた。長野日大中学校時代は一美さんが指導していたAC長野パルセイロで主将を務め、大学は「国内で一番観客が入る『早慶戦』に憧れがあった」と慶応大に進んだ。
2年時の早慶戦(春季定期戦)で先発し、43年ぶりの勝利に貢献。1500人以上が詰めかけた会場は「それまでのどの試合より雰囲気がすごかった」と振り返る。自身も4年時に勝った後に引退するつもりだった。しかし4年時はコロナ禍で早慶戦などが中止に。生活していた寮で感染者が出れば外出が禁止され、練習も満足にできなかった。
全国転勤のある会社に就職後も、電車で片道3時間かけて慶応大の練習に参加。高いレベルに挑戦したい思いは消えなかった。社会人1年目の2022年2月に「動くなら今しかない」と決心し、4月に都内の会社に転職。7月に横浜と練習生契約を結んだ。週3日は午前に横浜で練習し、午後1~10時に勤務。「全力で戦える場に立ちたい」との一心で、昨年初めに選手契約をつかんだ。
試合では「大学から一段、二段も上がる」とレベルの高さに苦戦したが、2季目の今季は相手の寄せの速さなどに「徐々に慣れてきた」と話す。一美さんが日本代表だったことなどで「どこに行っても『運上さんの息子』と言われる」のが嫌で、10代の時はホッケーを辞めたいと何度も思った。だが、今では「父と同じ(選手の)道を歩んでいますね」と笑顔で言える。
一美さんは「大学受験や選手契約など彼の(結果を)勝ち取る力、チャレンジ精神を尊敬している」とし、息子のゴールを楽しみにしている。