「マルタン・マルジェラ」──連載:北村道子のジェントルマンを探して
数々の映画衣裳をはじめ、さまざまなメディアで衣裳デザインとスタイリングを手がけてきた北村道子による「現代のジェントルマン像」を探る連載。第4回は、ファッションデザイナーのマルタン・マルジェラについて語る。 アーティザナルのルックを見る
1989年に撮影で仏・パリに行っていた私は、マルタン・マルジェラの1990年春夏のファッションショーを生で観ることができました。当時の私は、「マルジェラ って何?」という感じだったので、ヘ アメイクアップアーティストでモッズ・ヘアの創設者でもあるギヨーム・ベラールとカメラマンのアレックス・シャトランから、「君はもう少しファッションを勉強した方がいいよ」と誘われたのです。会場となった廃墟のような場所には、白衣を着た美しい女性たちやモデルたちに加え、地元の子どもたちがウロウロしていて、「これがファッションショーなのか!?」と驚いたのをよく憶えています。アヴァンギャルドで独特で、彼のようなデザイナーは他にいないですよね。私が子ども時代に伊藤若冲の絵に出合い夢中になったように、マルジェラに取り憑かれてしまったのです。 それからは、マルジェラをセレクトしている場所を国内外で追いかけ、収集するようになりました。「アーティザナル」ラインに表れているように、自分が作ったその一点こそが服である、というのが彼の発想だから、それを手に入れるために多くの人たちがマニアになっていきました。「私が今着ているものは世の中で私しか着ていない」と思ってマルジェラを着ると、髪型も変えたくなるし、歩き方まで変わってくる。自分の身体が歓喜しているのがわかるんです。 哲学が自由を見出す学問だとするならば、マルタン・マルジェラは洋服で哲学を成し遂げた唯一の人だと思います。例えば、パリのクリニャンクールの蚤の市で買ってきたヴィンテージを解体して、つなぎ合わせることで再構築するなど、どこにでもある普通のものに手を加えてファッションをビルドアップしていく。あるいは、初期のショーでモデルの顔を布や髪で隠していたのも、主役は洋服だとわかっているから。自分自身が顔出しをしないところにも、私はダンディズムを感じます。初期のショーを見ると、ヌーディでほぼ裸同然なのですが、ドキュメンタリー映画『マルジェラが語る“マルタン・マルジェラ”』(2019年)を観て、彼は人間をボディにして絵を描いていたんだ、と気づきました。 私の好きなマルジェラのデザインのひとつ、リングファイルに入れるために穴を開けた紙の丸いパートを、花びらみたいにブーツに付けるような発想は、ベルギーの鉱山の町・ヘンクで育った彼が理髪師だった父の店で、子どもの目の高さから、切られた髪の毛が落ちて積み重なっていくのをずっと見ていたことに由来しているんだな、と。そんな子どもの頃の記憶をデザインアイデアにするマルジェラは、人間が本来持っていたはずの動物的な本能を失っていない人だと私は思います。 2008年に引退した彼が今アーティストになっているのは、私が思うに、他人から「ビジネスのために」と言われて、同じ行為を繰り返すことを強要される必要がないから。自分一人で作れるところに戻ったんだな、と思います。 唯一無二のアーティザナル ヴィンテージのアイテムを解体・再構築した、マルタン マルジェラ「アーティザナル」ラインの2010年秋冬のルック。 マルタン・マルジェラ 1959年、ベルギーのルーヴェンで生まれ、ヘンクで育つ。76年から80年まで、アントワープ王立芸術学院で学ぶ。84年から87年までジャン=ポール・ゴルチエのデザインアシスタントを務め、88年に「マルタン マルジェラ」を創設。2008年までデザイナーを務める。 北村道子 1949年、石川県生まれ。30歳頃から、映画、広告、雑誌などで衣裳を務める。『それから』(85)以降、数々の映画作品に携わる。近書に、人気シリーズ『衣裳術』第3弾(リトルモア)がある。 WORDS BY TOMOKO OGAWA