ガザ戦争が引き起こすローカル非国家勢力の反米行動: 親イラン「抵抗の枢軸」諸勢力の立場はさまざま
イランに近い組織ほど行動は抑制
だが、メディアがしばしば前提とするように、イランがこうしたイスラーム主義反イスラエル非国家主体を統括し、ガザ戦争を契機にイラン対米、イスラエルの代理戦争の駒にしている、という見方は決して正しくない。 イランとの関係は、ネットワーク内の諸勢力それぞれに大きく異なっている。それが歴史的にも長く、思想的にも最も近い組織は、レバノンのヒズブッラーであろう。ヒズブッラーの設立は1982年、イスラエルによるレバノン侵攻を契機としてのことであったが、1979年のイラン革命を受けて、ホメイニー思想およびイスラーム革命との発想に感化された政治勢力が各地で設立、拡大した年だった。イランにおいてもそれらを統括するような傘上組織を設置するなど、革命政権初期の「革命の輸出」を支えるネットワークづくりがなされていた。ヒズブッラーがその流れのなかにあったことは確かである。 ここで注視できるのは、ヒズブッラーはイランと最も近い存在であるからこそ、極力戦線を拡大しないよう強く抑制が効いている、ということである。ガザ戦争勃発の翌日にはレバノン南部からイスラエル北部にミサイルが撃ち込まれ、その後10月半ばには散発的にイスラエル軍との間にミサイル攻撃が行われているが、11月以降ことし1月末までの間、驚くほど戦闘の音は聞こえていない。 ヒズブッラーによる抑制は、イラクにおける親イラン組織にも共有されている。特に現在イラク政権の中核を担う政党「バドル組織」は、フセイン政権時代、イラン亡命中の反フセイン・シーア派イスラーム主義勢力を一堂に会して成立した傘組織「イラク・イスラーム革命最高評議会」(1982年成立)の軍事部門として出発したもので、その幹部のほとんどがイラン亡命経験を持つ。現在イラクで反イスラエル・反米行動を展開する「イラク・イスラーム抵抗運動」は、主としてこのバドル組織と密接な関係を持つ組織の連合体であり、特に「イラク・ヒズブッラー部隊」は、バドル組織とともにイラン・イスラーム革命防衛隊の指導や協力を受けてきた。 「イラク・イスラーム抵抗運動」は、ガザ戦争開始から1カ月弱を経たころからイスラエルに対する攻撃行動を積極化し、エイラート港やアシュドット港、ハイファなどイスラエルの海岸沿いの諸地域にドローン攻撃を仕掛けるのみならず、イラク(アイン・アサド基地、クルディスタン主要施設)やシリア国内の米軍組織を頻繁に攻撃、12月後半から現在に至るまで攻撃を激化させている。とりわけ2月2日にヨルダン領内の米軍施設を攻撃して米軍に3人の犠牲者を出したことは、米軍による激しい反撃を招くこととなった。 イラクでは反米・反イスラエル行動は燃えさかっているようにみえるが、実はさらに細部を見ていくと「イラク・イスラーム抵抗運動」の構成組織の間でも温度差がある。連合体を取り仕切る立場にある「イラク・ヒズブッラー部隊」は、イランに最も近いことから、基本的には戦闘を激化させず対米報復攻撃は控える立場をとっている。同様に、イラクの政権内にいて、イランと最も関係の深いバドル組織は、議会などを通じた合法的手段の活動を模索している。その反面、連合体内でもイランと距離を置くサドル派に出自元を持つAAH(アサイブ・アフル・ハック)などは、イラク国内の米軍駐留に対して武力排除もあるとの姿勢をとる。 「親イラン勢力」とひとくくりにされながらもイランの統制が効かない勢力の典型例として、イエメンのフーシ派がある。2015年にイエメンの実権を握り、前政権派との間で激しい内戦を9年にわたり続けているが、20年ごろから両者は断続的に停戦するようになった。バイデン米政権は、この史上最悪の人道的危機をもたらす内戦に終止符を打つことを公約のひとつにしており、22年以降に和解交渉が進んできた。フーシ派はイスラーム教シーア派の一種であるザイド派の武装組織で、イラン革命防衛隊の協力を得ているといわれるものの、シーア派本流のレバノン、イラク、イランの間にあるような人脈、学閥的つながりはない。 こうした勢力は、パレスチナへの支援というよりも、自国内外での自派勢力のプレゼンスをアピールすること、自国内での米軍の圧力を排除することなどといった、ローカルなインタレストに基づいて行動することを重要視する。その意味では、ガザ戦争が「抵抗の枢軸」勢力拡大を招いたというよりは、ガザ戦争を契機に、敵対する勢力との力関係を有利に導くための軍事行動をとる諸勢力が各地で出現しているという見方の方が実態に近い。