<連載 僕はパーキンソン病 恵村順一郎>オッペンハイマーと高村光太郎に考える 今を生きる僕たちは何をすべきなのか
【エッセイ編・病中閑あり】その12 戦争と責任と
この春、戦争と責任について思いを巡らすふたつの機会があった。 ひとつは、米映画「オッペンハイマー」を見たことだ。米国で原爆を開発した中心人物のひとり、ロバート・オッペンハイマー(1904~67)の生涯をつづる。 現役の記者だった頃、僕は月に何度か映画館に通う映画ファンだったが、パーキンソン病にかかってから足が遠のいた。長く座っているのがつらいのに加え、パニック障害の後遺症で、暗闇で明滅する映像を見ると気分が悪くなりがちだからだ。 けれどこの映画は、「メメント」(2000)以来のファンであるクリストファー・ノーラン監督(1970~)が核開発を題材に、米アカデミー賞7部門を獲得した注目作。見ないわけにはいかない。 案の定、上映時間3時間のうち30分ほど体調悪化で中座してしまったが、同行した妻に補ってもらいつつ、あらすじを紹介すると――。 第2次世界大戦時、ナチス・ドイツの核開発が時間の問題とみられていた。これを追い越すべく、ユダヤ人の理論物理学者であるオッペンハイマーは米政府の極秘の核開発「マンハッタン計画」に協力することになる。 開発の過程で、彼は核の途方もない破壊力に畏(おそ)れを抱く。その力をひとたび解き放てば、人類は未来永劫(えいごう)、核による滅亡の不安から逃れることはできなくなる、と。 最初の原爆を爆発させれば連鎖反応が起き、大気が発火し、地球全体が破壊される――。オッペンハイマーらはその可能性が完全に排除できる数学的・理論的根拠がないことに気づきながら、人類史上初の核実験「トリニティ実験」のボタンを押す。 完成した原爆は、日本に投下される。被害の惨状を聞いたオッペンハイマーは深い後悔と自責の念にかられる。「戦争終結の立役者」と持ち上げられるなか、核開発競争の過熱を恐れ、水爆開発に反対する――。
僕の神経が悲鳴を上げたのは核実験の異様なまでの迫真性のせいだった。史実から実験は〝成功〟すると僕は知っている。それなのに、カウントダウンが進むにつれ、〝成功〟か、〝失敗〟か、あるいは地球が破壊されるのか、オッペンハイマーの緊張に僕の緊張がシンクロし、胸が痛くなったのだ。 映画は徹底してオッペンハイマーの主観で描かれる。広島、長崎への原爆投下や、その被害は出て来ない。核実験場で、事前通告がないまま多数の住民が被爆した事実も触れられない。 それでも、この映画に僕が共感するのは「米国の正義の勝利」という歴史観で押し通さない点だ。米国では第2次大戦は、ファシズムと戦った「正義の戦争」であり、原爆投下は日本を打ち負かした勝利の象徴だった。しかし、この映画が同時に前面に掲げるのは、原爆投下は「核による世界の終わりの可能性のある時代の始まり」という視点である。