「名もなき設計・エンジニアたちの知恵と工夫」軍艦島を閉山直後の約50年前に調査 男性が語る建物の安全の秘密
こうした建築構造の変化には、当時の人々の集合住宅の在り方が表れているといいます。 久保田要さん: 「自然の猛威の中で数千人の人々が小さい島で暮らしていく」 「軍艦島の建築物は鉱山技術者や建築設計技術者、その他の設備技術者など多くの名もなき設計・エンジニアたちが、人々の生活の安心と安全を第一に知恵と工夫を凝らしてできたものだと思う」 久保田さんは集めた膨大な調査資料をまとめる中で、最近になって気づいたことがあるといいます。 それは先ほど紹介した旧14号棟の構造についてです。 旧14号棟は木造とコンクリートの混構造でしたが、その後、鉄筋コンクリート造り(新14号棟)へと建て替えらえれたため旧14号棟の平面図などは残っていません。 しかし、これまでの調査で集めた旧14号棟の写真に写る排水管の並び、さらに最上階の5階天井にある明り取りのトップライト(天窓)などの情報から、間取りを推測してみたそうです。 久保田要さん: 「建物の南面の隅からトイレ、キッチンがあり、通路を挟んでまたキッチン、トイレとなっている」 久保田さんによれば、旧14号棟は2戸の並んだ職員住宅が通路を挟んで対称にもう2戸あるという間取りと推測できるということです。 そして、久保田さんが特に注目したのは、住宅の真ん中にある通路です。 久保田要さん: 「旧14号棟から外へ出る場合、通路のどちらへ進んでも岩礁のある山道へ出ることができるようになっている」 久保田さんは昭和に定められた建築基準法の二方向避難が、明治のこの時代から取り入れられていたと指摘しています。 久保田要さん: 「炭鉱という火災の危険性の高い場所だからこそ、人命優先の人に寄り添った建築になったと考えられる」 日本初の鉄筋コンクリート造りの建て物が並ぶ小さな島の形は、厳しい自然環境、増える人口、生活の利便性、そして何より炭鉱という危険と隣り合わせの場所という様々な環境要因から「自然発生的に、なるべくしてなった在り方」と久保田さんは言います。