コロナ禍に原田マハが感じた「人のいない美術館の怖さ」アート×小説の名手が考えるその正体は?
キュレーターとしての顔を持ち、アートをモチーフにした多くの小説で知られる人気作家、原田マハさん。最新作『黒い絵』は、アートが与える勇気や希望を描き続けてきた彼女が、初めて手掛けたノワールな短編集。集められた6本の短編はどれも、欲望、背徳、嗜虐など、生々しい黒い感情がアートによって刺激されてゆく瞬間を描き、読むものを底寒い戦慄へと導きます。これまで出会ったことのない「黒マハ」な作品たち、そこに込めた原田さんの思いとはどんなものだったのでしょうか? 原田マハ 1962 年東京都生まれ。関西学院大学文学部日本文学科、早稲田大学第二文学部美術史科卒業。伊藤忠商事株式会社、森ビル森美術館設立準備室、ニューヨーク近代美術館勤務を経て、2002年フリーのキュレーター、カルチャーライターとなる。’05年『カフーを待ちわびて』で第1回日本ラブストーリー大賞を受賞し、’06年作家デビュー。’12年『楽園のカンヴァス』で第25回山本周五郎賞、’17年『リーチ先生』で第36回新田次郎文学賞を受賞。ほかの著作に『本日は、お日柄もよく』『キネマの神様』『たゆたえども沈まず』など多数。
アートの暗い部分に触れられる瞬間のために行く、好きな場所
――『黒い絵』に収録された作品『向日葵奇譚』を、去年、パリで書いていたという原田さん。ようやく書き上げたその時に、ちょっと怖いことがあったそうです。 原田マハさん(以下、原田):夜の10時くらいだったんですが、最後まで書き上げて「こわ……」と思っていたら、家の窓を誰かがコンコン……ってノックしてきたんです。「ひゃあ!!」って叫んで、その瞬間に飛び上がっちゃったんですよ。誰!? と思ったら、近所に住んでる友達が「電気がついてたから、来てるのかなと思って」って。私がパリにいる時に、よく、コンコンって来る人なんですけど、タイミングがタイミングだったからすごくびっくりして。「いや、今、すごい怖い話書いてたから!!」みたいな感じで(笑)。 ――とはいうものの、ラストに「ゾッ……」とするミステリアスな短編集を手掛けた小説家が、「怖い」が嫌いなわけがありません。実は原田さんが好んで「怖い」を体験に行く場所は、閉館間際の美術館です。 原田:コロナの間、美術館にほとんど人が来なかった時にパリにいたので、ここぞとばかりに通っていたんですが、美術館って人がいないと怖いんですよ。私はよく人に「閉館の1時間前に行ってください」って勧めるんです。「閉館30分前です」というアナウンスで人がどんどん出口の方に行く中、最後まで残っていると、一人になる瞬間がかならずあります。ルーブル美術館の夜間開館でもそれがやりたくて、ギリギリ21時45分までに 奥の奥の奥の方まで行き、わざと時間を潰していたんですね。警備員が私を追い立てながらギャラリーのドアを締めていく、そのたびに、そこにある絵と一瞬だけふたりきりになる。その瞬間のなんだかゾッとする感じが、ものすごい好きなんです。もうこの世にはいないアーティストの何かに触れるというか。ああ嬉しいとか、幸せ、というのではない、アーティストがその作品に込めた情念が、時空を超えて感じられ、ヒヤリとする。アートには人を幸せにする効用はもちろんあると思いますが、同時にアーティストの情念、非常に暗い部分が込められている絵もあるんです。 ――じわじわと染み出すアーティストの情念が、アートに触れた人に作用する。自分が思ってもみなかった、自分の中の「黒いもの」が、アートによって呼び起こされる。『黒い絵』の短編は、そんな人々の体験を描いた作品たちです。 原田:この世には、人の魂に揺さぶりをかけてくる作品が存在します。その揺さぶられ方には、空から指す金色の光というようなものではなく、頭の中に黒い稲妻が走るようなものもあると思うんですよね。例えば私にとってはピカソの『ゲルニカ』(スペイン内戦で起きたゲルニカ空爆を描いた作品)がそんな感じでした。「なんだこれは」と思いましたね。ピカソが何のために描いたのかを知りたいと。そういう思いを喚起させる強さが、あの作品にはありました。