桂米朝さん死去に「ハイ!土曜日です」10年共演の桑原征平アナ「ほんまに博識な方でした」
19日夜に肺炎のため89歳で亡くなった人間国宝の落語家、桂米朝さん。テレビ・ラジオでも活躍し、多くの交友もあったという。そんな中、米朝さんが13年間司会を務めた関西テレビの全国ネット情報番組「ハイ!土曜日 です」で10年間アシスタントの立場で共演したというフリーの桑原征平アナウンサー(70)に話を聞くと「先月病院で会ったのが最後だった」と明かした。
先月お見舞いに。顔を出すと「ニコッ」と笑ってくれた
征平アナによると、最期にあったのは2月くらい。米朝さんの二男で公務員の中川透さん(54)から「病院で父が征平さんの名前を出したらニコッとしたんです。もし良かったら病院へ来ていただけないでしょうか」と連絡もらい、さっそく向かったことを明かした。 「ほんまに親父さんを尊敬してんねん。そんでワシ病院へ行ったんやけど、米朝師匠に『師匠久しぶり』って声をかけたら笑ってくれてん。忘れられへんなあ」と最後に会った時の様子を話してくれた。また、昨日、透さんに連絡をいれると、弟子や家族にみとられた最期の時の様子を話してくれたという。
日本を代表する博識者たちをまとめる仕切りのスゴさ
征平アナが米朝さんと共演していた「ハイ!土曜日です」1966年12月3日から1982年3月27日まで、毎週土曜日の午前8時から全国ネットで放送していた情報番組。名物となっていたのは、米朝さんがいわゆる人間国宝級の技量などを持つ人たちを紹介するコーナー。そして、征平アナの「征平の挑戦」。そして、いわゆる「時事放談」のコーナーはレギュラー陣がすごかったという。 「SF作家の小松左京さんに西洋史学者で京都大学名誉教授の会田雄次さん。薬師寺住職の高田好胤さんに評論家の俵萌子さん、文化人類学者で国立民族学博物館元館長の石毛直道さんとか、日本の代表的な学識者の集まりですごかってん」と征平アナは振り返る。 毎週金曜日の夕方から未明にかけて、出演者が滞在するホテルの1階の店で打ち合わせ。それぞれが知識を持ち寄り披露してみんなで笑う。征平アナは10年間その光景を目にして「ほんまにすごい打ち合わせやった。けど、それが翌日の放送に反映されることは少なかったなあ」と冗談を交えながら当時を振り返った。 特に米朝さんと小松左京さんとの話し合いもすごかったという。「言うてみたら歩く百科事典同士がしゃべってるかんじで、どこまで進んでいくねんという感じやった」と征平アナ。ただ、自分がその話しを知らないというと「そんなことも知らんのか」と2人はいろいろ、うれしそうに教えてくれたという。 同時に、米朝さんはそんなすごいメンバーをいっぺんにまとめる「総仕切り屋」の面もあり、征平アナはその時、米朝さんのすごさを目の当たりにしたという。