避難所運営 人手不足補う創意工夫のポイントは情報共有 珠洲市 ある避難所の記録
最大約4万人が1次避難所で過ごした能登半島地震。仮設住宅の建設が進むなど避難所は減少しつつあるが、5月に入っても110カ所以上が残っている。各避難所が頭を悩ませてきたのが運営メンバー不足だった。避難生活が長期化するなか、どうやりくりしてきたのか。石川県珠洲(すず)市内のある避難所の動きからその工夫をみる。 【写真】珠洲市立正院小学校の周辺で倒壊した家屋。被災から3カ月近くたっても多くの被害が残っていた=3月28日撮影 ■手作り新聞 日差しが暖かくなり始めた3月下旬、珠洲市立正院小学校を訪れた。地震発生直後の1月上旬、同月下旬に続き3回目の取材だ。 「災害初期のころと違い、明るい話題が載ってますよ」 避難所内の話題を伝える手作りの「正院ひなん所新聞」を紹介したのは、避難所運営メンバーの小町康夫さん(69)。初めて訪れた際の新聞は「感染症の発症は非常にこわいです」「マスクをしましょう」と避難所内での注意喚起がほとんどだった。この時は「春見つけたよ」と、小学校周辺で咲いた春の草花の写真が紙面を飾り、和やかな内容になっていた。 新聞は、運営メンバーの掲示班が担ってきた。ミーティングで避難者への連絡事項をまとめ、作成は子供たちに頼んだ。子供たちにも運営に参画していることを実感してもらうほか、分かりやすい表現で注意事項が伝わりやすいとの思いがあった。避難所生活での潤いになったと好評だったという。 ■カバー態勢構築 発生当初は帰省者もいたため避難者は500人近くに及んだ。地元の防災組織に参加してきた約30人が運営メンバーになる。普段の防災訓練で決めていた役割分担をもとに、自然と班が編成されたという。掲示班以外では、炊き出し、医療介護、見回りなどの班が立ち上がる。避難所開設から約3週間後には、高齢者らの健康管理に取り組むシルバーリハビリ班といった現況に合わせた班もでき、7班態勢となった。 だが、当初の運営は厳しかった。真冬の寒さの中で続いた停電、教室には入りきらない避難者、と混乱。数日後に電気が復旧し、県外自治体から派遣された職員が支援に入るなどしてようやく軌道に乗り始めた。 その後避難者は200人台に減ったが、同時に運営メンバーも避難生活を終える人もありメンバーは当初の3分の1になろうとしていた。「今度は少ない人数で運営することが必要になった」(小町さん)